山口中央新聞

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多々良学園民事再生法終決に思う
  多々良学園の民事再生法が終結した。学園施設の移転を端に発した学園の経営不安から破綻、そして民事再生法適用申請に至った学園については、再生期間中に多額が債権が雲散霧消し、学園施設移転では多額の税金が投入されたにもかかわらず、何とあっけない幕切れか。
  学校法人、それも高校を擁する法人が経営破たん、それも内部に問題を抱えての破綻である。もう少し、破綻に至った経緯を明らかにしてほしかった。
  どうゆう経営方針で、あれだけの債務を負い、経営破たんを起こす結果になった移転事業を実施したのか。確かに当時は今ほど経済が悪化していた訳ではない。しかしあれほどの多額の移転費用を税金注入も受け、更には寄付で賄えると結論に至ったのか、不明にことが多すぎる。
  多々良学園の破綻以降、学校の破綻はそれほど多くは発生していない。同じような事例が起きない様、今からでも遅くはない。ジャーナリズムにも問題意識を持ってもらい、破綻に至った背景要因をもっと掘り下げ、問題を所在を明らかにしたもらいたい。

民主党政権交代の意義と課題
  衆院選は民主党が圧勝し、戦後初めて日本で選挙による政権交代が実現する運びとなった。武力ではなく平和裏に政権が交代するという先進民主主義国家では当たり前のことが、日本で戦後半世紀を経て、ようやく日の目をみることになった訳だ。
  政権交代の意義は多くのメディアで報じられているため、弊紙は別の視点から論じてみたい。政権交代の意義とはズバリ、情報公開である。自民党の長期政権により、行政情報が隠蔽され、埋蔵金など国民から全てのことが隠されていた。国民は間違った情報を基に選挙をさせられている訳である。これでは絶対に正しい国にはなり得ない。
  民主党にはマニフェストの政権公約を粛々と実施してもらうことは勿論だが、その前提として徹底的な情報公開、政府の持っている情報を全て国民の前に明らかにしていただきたい。情報公開の基に、何が最善か、国民が議論することから始めなくてはいけない。
  そして政権交代のもう1つの課題。それは司法改革による日本における真の三権分立の確率である。日本は裁判官、検察、弁護士といった司法のプロから構成され、一部裁判員制度が導入されてはいるものの、まだ国民にとっては使い勝手の悪い制度である。裁判を受ける権利があるとはいうものの、費用も時間もかかり、最後は和解といった玉虫色の決着がほとんど。裁判は本当の疲れる作業である。刑事捜査にしても、捜査権は全て警察が、起訴権は検察が独占し、競争力が働いていない。ここらあたりに冤罪という問題がおきる下地があるように思われる。
  小沢一郎氏への政治資金規正法違反容疑での強制捜査などみても、なんとなく日本には三権分立が確立していないように感じられる。民主党には是非、情報公開の徹底とともに、司法改革にまい進していただきたい。

WBCのイチロー選手について
 
イチロー選手はWBCでここ一番の打席で見事な一打を放ち、日本に金メダルをもたらした。プロ選手というのはアーティストであり、ファンや観衆に感動を与えなくてはいけない。ただ勝つだけではプロといえない。感動を与えてことプロである。イチローは野球のみで、ここまで登り詰めた訳で、何らごまかしが利かない世界で生きてきた人といえる。
  だからこそ、理想の上司を問うアンケートなどで常にイチローの名前が出てくる訳であろう。日本は世界同時不況で経済は疲弊。政治も世襲政治の弊害もあるのであろうが、ダッチロール状態にあり、日本の進むべき道すら指し示せないでいる。イチローは閉塞感漂う日本に、元気をもたらしたという点で、まさに政治的働きをしたともいえる。
  経済とは気持ちであり、国力も国民の高揚する気持ちである。国民に高揚感をもたらしてくれたイチロー、そして侍ジャパンは激動する日本に大きな勇気をくれた。いつの時代でも国を変えるのは、規制概念にとらわれない若者だった。昨今、ベテラン政治家の地方選挙でのの敗北、国政で大物政治家の違法献金問題などが散見されている。色々な意見はあるのだろうが、閉塞感漂う日本に、巨大なマグマがうごめき、大きな転換点にあるとこを、ここ最近の出来事は暗示しているのかもしれない。

平成21年の年頭所感
 新年明けましたおめでとうございます。昨年を振り返って、まず思うことは、世界や日本のそれまでの常識が音を立てて崩れた年だったということではないでしょうか。米国初の黒人大統領の当選に始まり、米国発の金融危機に伴なう世界的不況。日本では政治の機能不全と、戦後政治を担ってきた自民党の末期的状況。どれをとっても世界は大きな転換期に突入しています。
  宗教界をみても、組織腐敗や関連事業の行き詰まりなど、内部事情が世間に知られるようになりました。一部の宗教法人については、その組織の解散も現実の選択肢として出ているようです。一部宗教系の大学では金融危機に伴なう運用の失敗が明らかになるなど、大きな波紋を呼びました。
  政治に目を転じれば、官僚統制経済の行き詰まりは火を見るより明らかです。金融危機に伴なう円高不況や大手企業を中心にした大量派遣切り、消費低迷など、大きな問題が噴出しながら、何ら有効な手立てを講じることが出来ないでいます。硬直した官僚統制体制では、有効な対策を機敏に打ち出すことは不可能になっています。確かに米国はサブプライム問題など経済運営で大きな問題を生み出しはしましたが、大統領選挙で見せた政治転換は見事といえます。危機に対し即座に対応する機動性の高さは、まだまだ米国の強さを物語っているといえます。
  日本は伝統にな立ち返り、日本人としての原点である技術と知恵、正直さを再認識し、世界の危機で主導的役割を担う必要があります。そのためには早急に官僚統制、つくの全てを官僚が仕切るという現在の体制を止め、国民主権の政治体制に立ち戻ることが重要と考えます。政権交代がその手段かどうかは国民が判断することだと思いますが、官僚統制体制の転換は時代の要請といえます。今年はそのために全ての組織や体制が更に崩壊する波乱と年となるてしょう。今年もご愛読宜しくお願いします。皆様の今年1年間のご多幸とご自愛をお祈り申し上げ、年頭の所感とさせていただきます。
 
三浦氏自殺が示す米国占領国家「日本」
 ロス疑惑の三浦和義氏がロサンゼルス市警の留置場で自殺した事件について一言。三浦氏の事件の是非は別として彼の自殺は日本国が国民を守れるのかということを図らずも露呈した。この事件については同盟国である米国駐留米軍が日本各地で犯している犯罪については日本は取り締まることができない。仮に日本の警察が逮捕してもまず米軍に引き渡さなくてはいけない。 
  しかし三浦氏については米国は自分の国の法律に基づき逮捕、拘禁している。この関係はまさに日本が未だ米国の占領下におかれ、日本の法律より米国の法律が優先されていることを物語っている。仮にも日本で無罪が確定した三浦氏が米国の法律に基づき拘禁され、最後は自ら命を絶つというなんとも不可解な結末に至った訳である。
  一方で北朝鮮による日本人拉致事件では米国は日本の再三にわたるテロ支援国家指定を解除している。日本人拉致は本来日本自身の問題であり、自らが解決すべき問題であり、米国に頼む筋合いではないかもしれない。しかし仮にも同盟国である日本の拉致事件解決に向けた圧力を取り除いた訳だある。米国は本当に日本を同盟国として扱っているのであろうか。
  一連の出来事を概観するに、日本は自己決定権がなく、すべて米国の占領国家としての扱いしか受けてないのではないかと思われる。日本の法律より米国の法律が優先するということは裏を返せば、日本が世界から所詮米国の占領国家としてしか見られておらず、今後日本は世界から軽くあしらわれる可能性が高いということである。
  日本は戦後サンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰したことになっている。しかし本当にそうなのか。日本は今こそ、米国との占領行政とその後のやりとり、関連文書を全て公開する時期にきている。でなければ日本国民は今後も意味不明な税金を取られ、国家から生命と財産を守ってもらえないことに不安を抱えながら生きていかなくてはならない。

大分国体を終えて一言
 
 大分国体も終わり、山口県は天皇杯35位にとどまり目標としていた20位台を大きく下回った。常日頃から弊紙が指摘しているように、選手や指導者の優劣ではなく、まして素質の問題でもなく、最大の問題は音頭を取っている行政にあることを改めて指摘しておきたい。 
  冷静に考えみたい。山口県出身者でインターハイなど著名な全国大会で活躍する選手は多い。しかし彼らが山口県に帰ってきて指導者として活躍する場はないといっていい。何故か。組織優先の考えが蔓延し、本当に現場で頑張っている指導者がむくわれない仕組みになっているのではないか。結局有能な指導者は山口県の体制に嫌気がさし、他県に出て行く。才能ある選手も有能な指導者に付いて県外に流出しているというのが実態ではないか。
  例えば卓球の選手、柔道の選手、陸上の選手など多くの素質ある選手が中学生段階で県外に出ている。要は指導法ではなく、素質ではない。優秀な指導者に活躍の場を作れば、優秀な選手は育つのである。行政の問題は行政自身がそのことに気がついていないことにある。優秀な指導者は数ではなく、能力そのものである。指導の基本の基礎基本であり、決して派手な技ではない。まして地位や名誉であいことは言うまでもない。
目標は20位台というが、20位と29位では大きな違いがある。このことが行政の考えを物語っている。

山口県のスポーツ指導者のコメントについて一言
  県内のとある高校のスポーツ指導者が7月24日付の西日本新聞で県内の柔道界の現状について下記のようなコメントしていた。「県内では柔道人口の減少と、指導者不足が問題視されている。全国に通用する学校はないと言っていい・・・」。 
  このコメントについて一言言いたい。多くのスポーツの競技者人口は国の人口減少とともに少なくなっているのことは必然である。にもかかわらず柔道だけに限定して競技者の減少を指摘するのはナンセンスである。指導者不足についても言っているが、指導者は数の問題ではなく、指導能力の問題であり、1人の優秀な指導者がいれば全国に通用する生徒はいくらでも育成できる。 
  こんなことを新聞でコメントするなど、まして国体の3年後開催を控えている中、あまりに非常識ではないか。これを機に県内の柔道界の建て直しの必要性を指摘するなど、もってのほかである。うがった見方をすれば、競技人口の減少を理由にして柔道界の衰退を嘆くようなコメントは、自分の指導者能力を棚に挙げ、責任逃れしていると言われても仕方ないと思われる。
  県内の柔道界の衰退を指導者がメディアで語り、優秀な生徒は中学段階で県外に流失し、県内の高校生では全国に太刀打ちできないとの指摘は、生徒に対し失礼であり、このようなコメントを見た生徒はどう思うだろうか。多分やる気をなくすのではないか。要は有能な指導者がきっちり指導すれば、とのような生徒でも伸びる可能性を秘めている。それを見つけ伸ばすことが指導者の役割である。口だけで会議ばかりしている指導者や行政は必要なく、今必要なのは現場で生徒と一緒に汗を流せる指導者ことそ必要なのではないか。

捜査権を民間に開放せよ
 官僚による不正や犯罪が多発し、国民が生命や財産の面で大きな被害を蒙っている。年金や税金という形で国民は負担を強いられながら、年金や財政は大きな赤字を抱え、更なる増税が待ち構えている。にもかからず官僚は全ての情報を独占し国民は実態の真相する判らない。これらの問題に対する処方箋として考えられるのは、司法制度、特に刑事事件での自由化である。
  一般国民が裁判に参加する裁判員制度が近くスタートするが、これは穿った見方かもしれないが、本当の司法制度改革を阻止するごまかしかも知れない。現在の司法制度では、一般国民が不利益に対し提訴できるのは民事事件しかない。刑事事件の起訴権は検察官が独占している。弁護業務も弁護士が独占し、一般国民にとっては司法制度は別世界のことである。
  仮に刑事事件で国民の捜査権や告訴権が自由化されれば、探偵という業界も成長するであろうし、捜査も市場原理により活況を呈し、困難な事件も競争原理が働き、解決が容易になるかもしれない。捜査権について警察と探偵など民間が競い合えばいいのである。捜査権を警察が独占し、起訴権を検察が持っている限りは、本当の意味での正義の追求は出来ないと考える。
  警察や検察の民営化である。官僚の不正や犯罪も国民の目線が捜査し、告訴できれば、もっと公平な世の中になると思われる。年金を横領したり、公文書を破棄しても、官僚内部の私的罰則で「うやむや」にしてしまう現在の官僚機構では、国民の負担は大きくなる一方である。警察と検察、司法の民営化は検討に値すると考えるが、いかがか。

大分県教員採用試験の不正は贈収賄ではなく公文書偽造では
 
 大分県教員採用試験での贈収賄事件について書く。この事件で警察に逮捕されている教育委員会関係者や教員の容疑は贈収賄である。しかしよくよく考えてみれば、教員という公務員の採用試験の改ざんという点で、今回の容疑は明らかに有印公文書偽造ではないのか。関係者の話しでは贈収賄は公文書偽造に比べ刑が軽いという。
  しかしそれよりなにより問題は別の所にある。報道では教員採用試験での点数偽造のほかに、教員の教頭や校長への昇任試験でも贈収賄が日常化し、現実に不正な手段で昇任した事例が多々あったということである。現実に昇任試験で便宜を図ってもらうべく、商品券などを贈った教頭が警察に自首している。
  問題とは何か。実は今回の公文書偽造事件を捜査している警察自体にも昇任試験で不正がまかり通っているという疑いがあることである。小生がある警察を退職した人から聞いた話は次のようなものだ。この人は警察官在職中にある幹部警察官から睨まれ、ことあるごとに「俺が目の黒いうちは絶対にお前を昇任させない」と言われたという。詳細は分からないが、所詮人間がやることであり、完全に公明正大なことはないかもしれない。
  今回警察が大分県の教員採用試験の不正を贈収賄で捜査しているのは、もしかしたら仮に公文書偽造で立件した場合、廻りまわって警察組織にも波及しかねないという組織防衛が働いてるいる可能性は否定できない。公務員による公文書偽装は国民には絶対伺い知ることができない領域である。
  知る所では人間の生き方を説く宗教の世界でも公文書偽造のようなことがまかり通っているという。恐ろしい話しではある。

車検制度と高速ETCについて物も申す
 日本が官僚統制国家だということを物語っているものに車検制度と高速道路のETCがある。車検制度は車両の安全を保ち、交通事故を防ぐという点で意味はあると思う。しかし実態は単なる税金を支払うための制度になっているような気がしてならない。車検費用の約80%は税金であり、本当の整備費用は僅かだ。
  更に言えば自賠責保険がある。もし人間をはねて死に至らしめた場合、果たして自賠責保険の保険金で賄えるわけがない。今や任意保険での無制限補償は当たり前だ。任意保険で無制限補償に入ってるいる人には自賠責は必要ないと思うがいかがか。
  高速道路のETCにしても、ETC車は通行料が割り引かれるメリットがある。しかし本来税金で造った高速道路である以上、利用のしかたで代金に格差をつけること自体おかしいのではないか。負担が同じであれば、通行料も同じにすべきと考えるが、どうだろうか。

秋葉原無差別殺傷事件のもう一つの見方 
 秋葉原の無差別殺傷事件は既に容疑者が逮捕され、メディアを中心の事件の背景要因について家庭事情や教育問題といった視点で語りつくされている。しかし一つだけ語られていないポイントがある。それはあの殺傷事件は殺人事件というよりは、もしかしたらテロ行為ではないかということだ。歩行者天国の群集にトラックで突っ込み、誰彼をかまわずナイフで殺傷するという行為はテロリストの行為そのものといえるのではないか。
  弊紙は情報を持っている訳ではなく、あくまでマスコミ報道を通じてしか事件を伺い知ることは出来ない。大阪の池田小学校で小学生を無差別に殺傷とした事件とは若干違う。敢えて言えば地下鉄でサリンを撒き散らしたオウム真理教に通じてるものがあるように思う。世界はオウムのサリン事件をテロと報じていた。
  加藤容疑者は事件を起こす直接のきっかけとして派遣先の会社から解雇されたことを理由に挙げていた。会社は加藤容疑者について解雇の候補者にはなっていなかったと言っていたが、加藤容疑者本人は解雇されたと思い込み、姿を晦ますことになったようだ。加藤容疑者の行為は絶対に許すことの出来ない犯罪であり、鬼畜の行為である。ただ一方で解雇を言い渡されたと思った加藤容疑者も落胆というか絶望の思いを持ったのではないか。
  テロとは民主的な手続を踏まず、暴力で世の中のあり方を変えようとする政治的行為といわれている。テロといえば、アメリカのツインタワーに旅客機で突入した原理主義組織や、イスラエルに対し暴力で抵抗しているパレスチナなどが一般に知られている。テロリストに共通するのは所謂正当な手続では世の中を変革できないと判断した組織や人が無差別に殺傷行為を働くことをいう。
  加藤容疑者の行為は何となくこのテロ行為と共通する点が多々あるように見受けられる。加藤容疑者は青森県のトップクラスの進学校を卒業後、以後本人が言うところの不本意な人生を歩んできたといっている。悶々とした日々を過ごし、ある日会社から解雇を言い渡れたと思い込み、凶器を調達するなどし冷静に準備を進め、携帯サイトに自分の行動記録を残し、そしてある忌まわしい事件を起こしている。
  あの事件を防げなかったのかという意見がある。教育問題の視点から現在の偏差値教育の問題点を挙げる見方もある。しかしそれらの見方はある一面を論じているに過ぎないような気がする。アメリカのブッシュ大統領は21世紀の戦争は国同士の大規模な戦争ではなく、テロリストとの戦いだと言ったことがある。そして米国でテロとの戦いとしそてイラクに大量の兵隊を進駐させている。テロとの戦い。今回の秋葉原無差別殺傷事件は何となく、テロリストが起こした現在の世界が抱える病魔のような気がしてならない。
  翻ってわが国では、政治家や官僚といった権力を持った層が犯罪を犯しても何ら処罰されることはない。しかし下層部では小額の窃盗事件でさえも犯罪として摘発され立件されている。このような不公平な現象が結果的に弱い層に大きな不満を齎し、尚弱い所に敵意をむき出しにすることになっているような気がする。政治や官僚の腐敗が新聞で論じられない日はない。格差社会が進行する一方で、古いシステムを大きく変えることも困難になっている。テロを生むような社会矛盾を是正することも、テロ行為のような事件を抑止することに繋がっていくと思うが、どうであろうか。 

官僚の強さの源泉
 
官僚バッシングが近年盛んに見られるが、要は官僚に対する国民の不満は官僚の特権階級意識にあるのではないか。官僚はキャリア1種試験をクリアすれば一応日本国家をコントロールする地位を得ることができる。しかし一昔前の官僚はまだ国民の痛みや苦しみを肌で感じているひとが多かったように思う。要は人間味があったというところか。 
  しかし全部といはいわないが、最近の官僚は入省した時点で自分たちは特権階級だと思い込み、何をやってもいい、最後は国民ではなく、省庁のために働くといった要素が強くなるような気がする。情報を独占し、法案作成権も持ち、場合によっては国会議員に対しても情報の面で一つ上に立つという地位を持てる。考えようによっては確かに特権階級である。
  特権階級には一方で義務を伴なう。それは国民の負託を受け国家を運営するということだ。あくまで主役は国民であり、官僚は公僕だということだ。しかし実際には今の日本を見る限りは主役は官僚であり、国民はコントロールされる層になっている。国民の公僕という気持ちを持てば、社会保険庁のような年金問題が起こるはずがない。 
  官僚の強さの源泉はどんな不祥事を起こしても組織としてつぶれることはないし、国民の不平不満に何も感じないという組織としての体質にあるのではないか。話しはやや飛躍かもしれないが、食品偽装と残った料理の使い回しが発覚し、廃業破産に追い込まれた船場吉兆は一回の不祥事で破産に至った。船場吉兆の不祥事は許されることではないが、一般国民には関係のない話しだ。一方で社会保険庁の問題は全ての国民に影響する問題である。しかし社会保険庁は今でも存続し、年金制度も続いている。バランスを失してるいるような気がしてならない。

政府発表の統計データに疑念
 政府は白書や統計など各種データを発表し国民に日本の状況を説明している。このデータを基に政府は新しい法律を立案し、民間企業もデータを参考に企業活動の次なる手を打っている。しかしよくよく考えてみれば一つの疑問が沸いてくる。政府が発表するデータは本当に信頼すべき数値なのかということだ。仮に統計データに誘導的要因があったとしたら、国民はデータを通じコントロールされているということになる。
  統計データは一見論理的に感じられるが、決して客観的なものではない。例えばある省庁が予算を獲得するために、問題点を浮き彫りにすべく、その課題に対応するような統計データを出してくることだって不可能ではない。マスコミにしても省庁の出す統計データは貴重な報道資料であるため、検証せずに報道することが多いのではないか。国土交通省が道路整備の必要性を国民の知らしめるべく、予測通行量を過大に見積もっていたことは記憶に新しい。 
  要は国民は統計データを検証する材料を持ち合わせていないため、官公庁の言われるままに誘導されているということだ。防衛省にしても、常に中国や北朝鮮の危険性を説き続けていれば、毎年予算が獲得できる。極端な話し、防衛省は脅威が未来永劫続くことが望ましいと考えているのではないか。仮に中国や北朝鮮が軍事的脅威でなくなくなれば、防衛省は組織の縮小を迫られる訳だから。
  統計データは常に疑念を持ってみる必要がある。仮に新聞紙上で新しい統計データが発表された場合、どの省庁が得をするか冷静に考えてみることをお勧めする。なおかつてのま大戦で日本が惨敗した遠因には米国との情報収集能力と解析能力、そして情報に基づいた戦略に雲泥の差があったことを忘れてはいけない。

 

 

日本水泳連盟のオリンピック代表選手選考の英断
 北京オリンピックでの出場選手選考会で日本水泳連盟は過去の実績を一切考慮せず、選考会である全日本選手権での入賞者を出場選手として決定した。これまで各種種目では過去の実績を考慮し、名誉職的扱いで出場させていたことがあった。ある意味では不透明であり、選考会で敗れても過去の実績で出場できるということになれば、選考会の権威はなくなる。 
  日本水泳連盟の今回の英断は過去に選考会で勝ちながら、選考で漏れた千葉すずが当時の選考会の当事者を相手取り提訴したことが、今回の結果に繋がったいるといえなくもない。本来選考会は誰でもオープンにされ、過去の実績がなくても選考会で入賞すれば、出場の道がひられるのである。これ以上の公平な制度はない。全ての選手に機会の平等が与えられている訳だ。
  柔道を例にとれば、先のオリンピック代表選考会では全て優勝した選手が選ばれた訳ではない。過去の実績を評価され、結果的に出場を勝ち取った選手もいる。最終選考会という大会に臨んでいる選手はそれなりの選考会を勝ち抜いた選手である。そうである以上、代表選考会で勝った選手を第一の出場選手とすべきものではなかろうか。そうでなければその競技は組織としては生き残っても、世界を相手にした大会では崩壊の運命が待っているのではなかろうか。

光母子殺人判決を示す弁護士活動の自由化の機運
  光母子殺人事件の差戻し審で広島高裁は被告人の元少年に対し死刑を言い渡した。過去は判例では18歳以下の未成年者には死刑は適用されず、今回の元少年について言えば18歳を30日越えているのであるから法理論的には死刑を言い渡すことは出来る。最高裁は高裁の無期懲役判決について、「死刑を回避するに足る合理的な根拠を示せ」との見地から高裁に差戻していたもの。今回の判決は未成年に対する死刑適用の基準について新基準を示したもので、未成年の犯罪に対する司法の意思を示したといえる。
  ただ今回の裁判を通じ感じたことは、元少年の弁護団の弁護手法の異様さである。今回の弁護団の弁護の中心は、元少年の犯罪を傷害致死と主張した点だ。地裁や高裁での発言を全て覆し、言い訳じみた主張をしたことが結果的に裁判官の心証を悪くし、最終的には死刑という極刑を言い渡されることになった。
  弁護団の戦術ミスといってしまえばそれまでだか、問題は弁護団は本当に元少年を弁護する気があったのかと首を傾げざるを得ない。弁護団の団長は筋金入りの「死刑廃止論者」であるという。要はは弁護団長は自分の主義主張を天下に示すべく裁判を利用したのではないかと思わざるを得ない。
  裁判とは本来手続論である。米国では仮に犯罪を犯したことが明白であっても、証拠収集の過程で違法や間違いがあれば、無罪になる。手続論を重視する裁判制度の所以である。翻って日本はどうか。光母子殺人の差戻し審で弁護団の展開したものは、政治活動であり、法律の専門手家による空理空論の政治宣伝ではなかったか。その意味では日本の裁判は国民から遊離したものになり、一般国民の裁判を受ける権利は蔑ろにされているといったも過言ではない。日本にも裁判員制度が導入され、裁判に一般国民が参加できるようになる。今回の裁判を通じ裁判官だけでなく、刑事事件での弁護活動も自由化すべきという点を提言したい。 
  現在の裁判では民事では弁護活動は素人でせも出来るが、実際に地裁段階までであり、まして刑事事件では一般人が弁護活動をするとこは出来ない。しかし裁判員制度が導入される以上、弁護活動にも大幅な自由化が必要と考える。今のまま裁判員制度がスタートすれば、空理空論的に検事と弁護士との空理空論的やり取りが裁判を席巻し、本当の意味での国民のための裁判を望めない。司法関係者に一考をお願いしたい。以上これらの提言は弊社の意見であり、司法関係者を誹謗中傷するものではない。

学校スポーツは今一度アマチュア精神に立ち返れ
 アマチュアスポーツや学校スポーツ界での使途不明金や不正経理について一部事件として報道されていた。学校スポーツでは公立と私立問わず公的な予算はあるが、額的には少なく、実際の運営の上ではどこも寄付に頼り、厳しい台所事情をかかえている。全国大会に出場するような学校では公的な予算が出るが、時にこのようなお金を巡って現場で使途不明金や不正経理が出ている。このような不祥事は決して珍しい事案ではなく、昔から頻繁に起こっていたことである。
  山口県を例にとれば、先ごろ高校として破綻した旧多々良学園でも実際に起こっている。柔道部が平成11年に春と夏に全国大会に出場した折のことである。高体連から選手の旅費や宿泊費が公的補助として支出された。にも関わらず現場の監督には一切支払われず、本来の目的外に使われたという不祥事がそれである。この使途不明金を指摘した監督に対し、ありもしない暴行事件や横領事件、傷害事件を負わせ、解雇という暴挙に出たという。この監督は学校校舎移転を巡る学校側の不正を指摘したことも、その背景にあるといわれている。
  この監督は不正解雇を不当としては裁判に訴え、勝訴している。その中で使途不明金や不正経理も取り上げられ、いずれも事実として認定とれ、学校側の犯罪は明白になっている。にもかかわらず、警察や行政は学園側に何の行政措置をとらず、不問している。裁判の中で警察や行政側は「学園側が敗訴した場合は学園を告訴する」と言っていたにもかからず、今もって告訴の動きには出ていない」。
  この事例から垣間見えるのは、監督官庁である行政は学校などの事件に対し、何ら法的な措置をとらないということである。当時は学校とは私立であっても行政の一機関とという見方があり、まして自分たちに非が及ぶ可能性がある事案については何もいないというのが体勢であった。しかしその後旧多々良学園は高校としては初めて破綻し不名誉な形で私学運営から撤退している。仮に裁判での敗訴の時に行政が何らかの法的措置をとっていれば、多々良学園の今日はもう少し変っていたと思われる。
  アマチュアスポーツや学校スポーツの世界はアマチュアとはいいながら、そこにはアマチュア精神はなく、実は官僚組織に組み込まれ、不正も頻発しているというのが実情だということである。学校スポーツは今一度初心に帰り、学校スポーツが目指すべき理念に立ち返らなくてはいけない。

人材の流出で劣化進む日本
 海上自衛隊の漁船との衝突など最近の日本を状況をみていると、日本は人材の劣化や不足で世界の三流国に堕ちたなと実感せざるを得ない。海上自衛隊の一連の問題は単なる過失ではなく、高度化する装備に人間というソフトが追いついていない、深刻な問題をはらんでいる。そもそも自衛隊という組織が本当に機能しているのか、日本という国に今のような規模の自衛隊が必要なのかという根本的な問題を提起している。
  海上自衛隊はイラクでの給油活動以外、何をやっているのか。イージス鑑など世界でも最先端の装備をもたされ、実際はもてあましている状態ではないのか。自衛隊にしても人材不足で、かなりの能力劣化が蔓延しているのではないのか。そこらあたりに最近相次ぐ組織の不祥事の背景要因があるのではないのか。
  スポーツ業界に目を転じても同じような問題がある。空手や柔道など格闘技系の武道は新規参入不足が深刻化している。例えば極眞空手。ゴッドハンドと言われた大山倍達が亡くなって、組織は10団体あまりに分裂。最も多くの門下生を持つ松井派にしても、今や少年部と壮年部が生徒の中心を占め、大会に出場する選手層の中心になる20歳~30歳の層は少数派になっているという。別の派閥は団体は幹部が刑事事件で逮捕されたりと、不祥事が続発している。柔道界をみても、1人の選手をもてはやし、人気を集めることで組織を盛り上げることにやっきになっている。だが実際には足元は空洞化し、人材不足が顕著になっている。今やあらゆる組織に能力ある人材の欠如が進んでいる。特に組織を維持せんがために、能力ない人材、所謂イエスマンの人材ばかり登用し、結果的に組織の疲弊を齎しているといえる。
  本来は厳しい意見を言える、人材を登用しなければ、組織としての発展はありえない。しかし現実は組織維持が何より優先され、組織が私物化しているのが現実となっている。このまま進めば、日本からは本当に能力ある人は日本を見限り、海外に人材の流出が進む可能性が高い。いや現実には既に流出している。日本がもはや世界の一流国でないことは、人材の面からもはっきりしている。

官僚統制社会という日本型共産主義の完成
 年金問題は社会保険庁の永年に渡る記録改ざんで国民の将来の生活の安心という最後のセーフティネットが崩壊しつつある。将来の年金受け取りが危ういことを察知している若者は既に保険料を払うことを放棄する傾向にある。一方で既に年金を掛け続けた世代は今更支払いない訳にもいかず、今でも支払い続けている。この不公平は一体なんであろうか。支払わない者と支払っている者が混在し、支払わなくても罰則すらなく、漫然と年金制度が続いてる現状は異常である。
  全ての国民が参加しない年金制度は公的扶助に値しない。既に年金制度が破綻していることは明らかにもかかわらず、誰一人として年金制度の廃止を発言する者がいない。全ての議論は現行の年金制度の存続を前提にした議論である。しかし現実に年金保険料を支払っていない国民が多数いる。この年金制度を放棄した国民の存在を無視して、永遠に保険料を徴収し続けるのであろうか。
  この構造は何かおかしくはないか。これこそ官僚統制主義である。つまり国民に本当の議論をさせることなく、国民から年金保険料を収奪し続ける制度、まさに国民の財産収奪構造であり、これを官僚統制制度という。果たして国民は官僚の絵に描いた餅である「年金制度」をこれからも続けていく必要があるのか。これから年金保険を支払いし続けて、将来本当にセーフティネットが機能する保証があるのか。「ない」と断言できる。
  かつて日本の軍官僚は国民を米国との戦争に巻き込み、国民に多くの犠牲を強いてきた。国民は戦争で約300万人が戦死している。あの当時、既に役に立つ可能性がなくなった戦艦に膨大な税金を投入し、一戦も交えることなく、海の藻屑として捨て去っている。当時のエリートがやった戦争計画は全て破綻し、残ったのは国土の廃墟だった。
  確かに「大和」「武蔵」の建造は、敗戦を見越し、戦後の復興を図るうえでの技術の継承というプラス面もあった。日本の科学・工学・建築技術の総合力を駆使しして建造したものであり、戦後の日本が飛躍するうえで、大きな意味を持っていたことを否定するものではない。 
  しかしこれも日本の歴史のパータンであるが、成功体験が失敗の大きな要因になったという見本でもある。長期的な視野を持つ人がいる一方で、出来上がってしまえば既得権益に執着に、変化に対応できないという日本の短所が今日の災いを齎している。この構造的要因が政治から始まって、教育、文化、スポーツ、宗教なと゛多岐にわたる分野で構造的腐敗を招いてる要因になっていることは否定できない。
  さて年金制度も全ての国民は既に破綻していることをうすうす気がついている。しかし年金制度は続いている。何かに似ていないか。戦艦「大和」と「武蔵」を建造し続けた軍官僚の行動パターンと全く同じではないか。軍官僚は日本の敗戦が消滅したが、戦後軍官僚は文民官僚として生き残り今日戦前の軍官僚と同じ間違いを犯しつつある。官僚統制主義、言い換えれば日本型官僚による共産主義がここ日本で完成している。

 

曹洞宗で内部告発
 曹洞宗の組織内で組織に対し刑事と民事で訴訟が起こされている。所謂内部告発である。これまで曹洞宗は多々良学園移転に絡む資金の不正流用が取りざたされていたが、いよいよ本格的に司直の捜査が入ることなった。
 どこまで解明されるのか今後の捜査が注目されるところである。多々良学園に絡む一連の事案処理には多額の税金が投入されており、単なる一民間組織の破綻とは訳が違う。教育機関でもあった学校法人という位置づけを考えれば、表面的な捜査で終わらせるということがあってはならない。
  多々良学園の破綻に至る経緯をふり返れば、新校舎移転がらみで行政や金融機関、団体など国家の機関も関わりも否定できない根の深い事案である。弁護士など司法関係者の関わりも噂されており、今後の抜本的な解明が待たれるところである。 

年頭のあいさつ
 あけましておめでとうございます。昨年は色々の面で「偽装」がはびこり、嘘つき国家日本という汚名を着させられた1年でした。今年こと道義の国「日本」に生まれ代われるよう、諸兄とともに言論で世直しを進めて生きたいと思います。今年も宜しくご愛読も程、お願いいます。今年は大きく社会が動く予感がします。組織の崩壊が進み、個々の正義や小さな力が社会を軌道修正するものと思われます。

民主主義の発展には情報公開が不可欠
 
C型肝炎薬害訴訟は、国が一転して責任を認め、患者の医療費負担を国庫で賄うという関連法を全会一致で可決、薬害問題が全面解決に至った。一連の問題の発端は、旧厚生省の薬事行政の怠慢で、多くの患者を生み出したこと。さらにはフィビリゲン投与の患者リストを役人が隠し、情報公開に渋ったことが混迷を深める結果となった。
  本来行政文書を保管し管理するのは法律で定められていることであり、保存するのは当然としても、問題は行政が情報を公開せず、自分たちで事実を捻じ曲げという官僚の体質にある。薬害エイズの時も、同じであり、あの時は菅厚生大臣が役人に文書を探せと命じたことで、役人もシブシブだすということがあった。役人の体質はあの時も何も変わっていなかったわけである。
  日本の政治を変える大きなポイントは政権交代である。しかし民主主義の根底には情報公開がなくてはいけない。国民は情報公開で国の実情を知り、それを基に判断し、自分の一票を投じる。情報公開なくして民主主事は成り立たない。今のように役人が情報を隠し続け、情報を操作していれば、健全な民主主義と育たず、いわんや政権交代なで絶対に有り得ない。自民党一党支配が続く背景には、マスコミの先導的な偏った報道もあるが、根底には情報公開の未熟がある。
  別にアメリカを理想とする訳ではないが、少なくともアメリカは日本よりは情報公開が進んでいるし、かつてクリントンの不倫疑惑でも現職大統領が裁判所に呼ばれ、証言している。ウォーターゲート事件でも現職大統領のニクソンが辞任している。日本で内閣総理大臣が裁判所に呼ばれるということはまずない。日本もそろそろ法治国家に脱皮する時代にきていると思う。

防衛大学、体力でも東大に敗れる
 先の箱根駅伝予選会でこともあろうに、防衛大学校の学生が東京大学に敗れた。国家防衛を担う精鋭集団のそれも、将来の幹部候補生が学問で最高位に位置する東京大学に敗れたという事態は、国民としてどのうようり理解したらいいのか。
  かたや給料をもらいながら、勉強と体力育成をさせてもらっている防衛大学。一方で自らのの英知で偏差値競争を勝ち抜き、自ら学費を払って勉強している東京大学の学生。少なくとも東京大学には負けてほしくなかった。これでは防衛大学の意味はなく、極論かもしれないが、今後は防衛学部を東京大学に設けてもいいのではないか。多分そのほうが、受験生も増えるであろうし、国家予算の軽減にもつながるのではないか。
  東京大学は来年度から家計の年収が400万円以下の学生に対しては学費免除になるという。であれば、防衛学部を新設し、防衛学部入学者には家計に関係なく、学費免除にすれば、頭脳も体力も秀でた心材が集まることは請け合いである。しかし防衛庁の組織腐敗とあわせ、自衛隊組織は大きな課題を背負っている。今後の奮闘を祈りたい。 

曹洞宗の新しい風か
 旧多々良学園高校の教職員不当解雇や民事再生、金融機関訴訟など多くの不正や不法問題を抱えている伝統ある宗教法人・道元禅師を開祖とする曹洞宗の内部で、一部組織関係者がこの度これらに関連した不正行に関し刑事告訴に踏み切った。一連の事件の発端となった不当解雇事件で、立ち上がった一人の訴えに始まり、今や金融機関からの告訴を含め、今現状をみるに、この宗教法人も今の日本社会をみるようで、既に組織として崩壊しているといわざるを得ない。せめて日本は神と仏だけでも嘘はついてほしくなかった。ここまで事態が至った以上、これまでの事案を法のの前に出し、組織の膿を出し切り、再生を図らない限り、組織としての宗教法人は消滅の運命をたどるであろう。
  曹洞宗という組織が教育ほ食い物にし、一部の僧侶や役員が私腹を肥やした付けが大きな痛手として組織を直撃しているのである。弊社が一連の事件を追い続けている背景には、金銭だけでなく、この事件で人を結果的に死に至らしめた関係者、これに関わった公務員、行政、司法などに対する糾弾の意味合いもある。
  第二の社会保険庁や防衛省を巡る疑惑に匹敵する疑獄になる可能性がある。大物政治家や大臣経験者の名前の見え隠れている。解決策としては唯一つ、人として正直であること、仏の道そのももではないかと思う。今後曹洞宗の動きからは目が離せない。

 大相撲死亡事件にみる警察の失態
 
大相撲の死亡事件は世間を大きく揺るがしている。問題は警察の姿勢である。警察はそもそも正義ということを前提として、国民は国家権力を与えている。しかしこれはあくまで、これは警察が絶対に不法や不正の行為をしないということが前提である。しかし実際には警察組織は崩壊しつつあるのではないか。
  大相撲死亡事件では病院側は急性心不全と診断し、警察は虚血性心疾患と判断している。どちらも死亡という点では間違いなく、争う点はない。そこで問題は警察は病院や医師の急性心不全という診察結果を書き替えるという公文書改ざんまたは変更をしている。医師は検視や死亡診断書を書くとを法律で定められているという。これから考えても急性心不全と虚血性心疾患とは全く違ったものといえる。
  新潟大学医学部で解剖した医師の見解からも判るように、全くもって警察の一連の言動は警察としての本分からは乖離しているといわざるを得ない。警察は犯罪の可能性があれば、捜査をすることになっている。仮に犯罪があれば、逮捕・拘禁し起訴することが職務上の義務となっている。告訴や告発同じように犯罪の可能性があれば、捜査対象として捜査すべきある。警察官が犯罪性を感じても、上司の一言や天の声で部下は捜査に無言の圧力を感じ、捜査が出来なくなっているというのが実情と思われる。
  警察組織は階級社会という性格もあり、上司の命令は絶対である。ある意味、独裁的の要素が否定できない組織ともいえる。ここで警察が犯した犯罪として、公文書の偽造や虚偽報告など文書の関する犯罪行為と、死因の関する判定を何故変更したのか、これは死亡原因の変更であり見方によっては死者に対する侮辱ともいえる。このようにこの事件一つをみても、警察自らが犯した犯罪が数多くある可能性がある。その多くは闇の中に隠され、真実は葬られ、国民は裏切り続けられている。このような状態で警察の信頼回復は難しいと思われる。

 不正・不法行為がまかり通る国家権力の中枢
 
 戦前はもとより戦後になっても国民に対する情報開示をしない日本という国は今まさに内部告発や国民の小さな声によって崩壊しようとしている。小泉総理によって齎された良い点である。外務省にはじまり、今や社会保険庁、防衛省、国交省、農林省など全ての省庁行なわれた公益という名のもとでの公務員や議員の不正や不法行為は連日報じられ、今や国民は辟易している。一方で国民は税金や保険料の値上げラッシュで富を収奪され続けている。国民は家族を養うべく精神を病みつつ日々働き続けている。このような国民の状況を鑑みれば、議員や役所の不正や不法行為に時効はないもとのいえる。
 議員や役人は業務上の横領を犯しても、お金を返せば立件されることもなく、全て有耶無耶になっているのが実態だ。一方で国民が犯罪を犯せば、弁償しても刑務所に入れられ前科がつく。さらに言えば、大企業や銀行は税金を注入されて延命させられているが、中小企業の債務は弁済などなく、経営者個人の資財まで収奪され、最後は生命保険で借金を返すという誠に理不尽な実態が放置されている。日本は法治国家といわれながら、三権分立はなきに等しく、実際は行政、司法、立法の談合国家と断じても言いすぎではなかろう。
  何故こんな国になったのか。制度的なものか、法的なものなのか。ここで一つ思うのは、刑事、民事にしても、裁くというのではなく、全て法理論の学問を実践しているに過ぎず、裁判の体をなしていないのではないか。裁判官は権力を国民から与えられているという自明の論理を再認識してほしい。そうでなければ仇打ち制度の復活を望む国民の増えるに違いない。
 日本国家の根幹となる行政、司法は大丈夫なのか。国民は大丈夫である。国民は行政や司法を信頼せずとも、自分の考えのもと、進歩していく大和民族の精神を持っている。国家はこのような国民の優秀さを利用し慕い放題のことをした結果が今日の日本の惨状でないか。ここで一度日本を解体して、一から出直した方がいいのではないか。明治維新の若者の精神は今も脈々と国民の精神の中にいき続けている。
 

「円天」事件をも凌ぐ社会保険庁の国家的犯罪の実態

 捜査当局は10月3日にL&Gに対する強制捜査に入った。これはこれで捜査の行方を見るほかない。どこまで解明できるか、警察や検察、それを如何に裁くか裁判の行方が見ものである。しかし国民年金という名目で国民から国民を集め、老後の生活を安全・安心と謳って集めたお金を、使えるだけ使い足りなくなったら、値上げする。集めたお金をネコババする公僕という人々が、公務員の名のもとに、私利私欲のため使うのと、L&Gと何が違うのか。社会保険庁がやつていることの方が、規模の上でも、内容でもL&Gを凌駕するより重大な犯罪といえるのではないか。
  公務員は一般国民とは違う。その公務員に公務上の犯罪に時効もないであろうし、これを国民は認めないであろう。国、捜査する司法側は何もしないでいることは、国民に対する国家犯罪ではないか。今日の日本は犯罪容認国家であり、弱気を挫き、強気を助け、言い換えれば善良な国民を打ち砕き、悪き組織や権力者を助ける犯罪国家ではないか。
  警察法2条には大変よいことが書いてある。今一度考えてもらいたい。これから考えると今社会で大きく問題になりつつある宗教法人と旧多々良学園事件も、同じようなことが言える。情報内容は詳しくは言えないが、全国のお寺から集めた宗費として集めたお金を特定の人たちが取り私欲のめたに勝手に使ったとしらどうであろうか。また学校移転を名目に、そこに動く大きなお金を騙しとるために、ありとあらゆる方法を考え、良くも悪くも、判らなくなった人間や、僧侶たちが私利私欲のために、公金や寄付金を手に入れたとするならば、これはもはや犯罪であり、これに行政や公務員、国、県、地方の議員、金融機関も同様に協力したとなると、もはや一組織の問題ではない。
  これの発端となった基本的な裁判とも言える、多々良学園での教職員の不当解雇事件では、被告である学校側が山口地裁や広島高裁で完全に敗訴している。その原告の全ての訴えを認めていることも今後重大に問題となる。今や民間も国も無法国家いえる。国民は一度百姓一揆なる国家解体法案でもつくり、新しい日本という国づくりをしないと、今の日本は立ち直れないであろう。戦前のように、国民同士が血を流さずに、解決できる世界でも有数な日本国民であり、世界に類を見ない平和的国家改造を目指してはどうか。当社はこれらの実現のために報道し続けたいと思う。

 日本スポーツ界の問題は大相撲だけか

 ここ数年、日本スポーツ界はスケートや陸上、野球、柔道など大きな問題を抱えている。中でも事件となり裁判となり実刑判決を受ける事案も出ている。またこの度、大相撲では17歳の将来ある力士が稽古中死亡する事案も発生している。内容から推測するに、殺人事件でもある。北京オリンピックを来年に控え、選手をはじめ、関係者は強化に待ったなしの状況ではあるが、それを支える協会や連盟といった法人や組織はどうだろいうか。選手は時代によって不作や豊作はあるであろうが、組織はそれなにりの人たちが運営するわけであり、そんなにかわるものではない。
  ここら辺に問題点はないのか。同じ人が長きに渡り実権を握り、組織を左右させているところに不正や腐敗が多く生まれている。スケートや野球でみられたように、現役時代の実績は誰もが認めるが、運営や指導力は全く違ったものである。先日、陸上や柔道の世界大会があったが、中でも柔道では世界の柔道界から日本人の役員が一人もいなくなったという現実を見ることになった。言い換えれば本当の世界の柔道になったともいえる。
  しかしその中で言えるのは、世界大会や世界の会議の中で、通訳なしで柔道を語れる人が本当に世界の会議に出席しているのだろうか。柔道の良さ、嘉納治五郎先生が創設された柔道の真髄である精力善用、自他共栄の精神がどの位正確に伝えられているのだろうか。競技としての強さのみを追っているのであれば、体力や運動能力に優れている外国人にいずれは敗れるということは明白な事実であろう。
  しかし柔道はそれだけではない。だからこそ、柔道は世界中に受け入れられ発展したのではないか。日本体育の父といわれる嘉納治五郎先生が説かれた精力善用、自他共栄の精神を今一度真剣に考える時が日本スポーツ界に来たのではないか。不正や成績不振の原因は組織の独裁化と金銭、人事の不正によるものが一番おおきな問題である。今社会問題になっている社会保険庁や官僚問題も戦後60年以上の自民党独裁政治であったことが大きな要因である言っても過言ではない。子どもたちに直接与える感動や夢、希望を本分とするスポーツ界こそ自由で平等、そして不正がない組織であるべきと考える。これがスポーツマンシップでありましょう。

 

検察や警察は正義を貫け! 
  ここ数年、検察官や警察官といった国民の味方ともいえる公の官庁がおかしい。不祥事は今までにも何かの形で発生していたが、現在噴出している不祥事はこれまでとの様相が違ったものである。これでは国民は正義を失っていまう。権力や組織を持った一部の集団が国を動かしていることになっている。一例を上げれば、無実を人を服役させた事件。選挙での「踏み字」事件、文書偽造での不起訴事件、告訴の不受理事件、そしてこの度の警視庁警察官による女性射殺事件など、いずれも国民にとっては恐ろしい事案である。
  一連の事件の背景には組織の疲労があるのか。職業意識が強すぎ、国民の方を向いていないのか。小さな事件や告訴事案を軽視しすぎているのではないか。小さな事案を大切に適切に対応とることの積み重ねことが重要と考える。社会保険庁や政治家、宗教法人への捜査は甘いといわざるを得ない。これらが積み重なった結果か゜、今日の一連の事件の発生と考えられる。民間の警察と検察の必要性が高まっている。民間の捜査会社が独自に捜査権を持ちことで、警察とのいい意味での競争が発生し、警察組織の緊張感が生まれ、不祥事の発生も抑制されるものと考える。ただお互いの誹謗中傷が起きることも考えられる。だからこそ警察や検察といった権力に期待している訳だ。

曹洞宗に新しい流れか?
 
日本伝統文化の中に禅宗があり、その中でも永平寺を本山とする開祖・道元禅師といえば、受験問題にでも出てくる宗教界を代表する宗派である。その曹洞宗がこのほど、幹部2人を除名するとのプレスリリースを発表した。今までも曹洞宗関連事件については多々良学園や駒沢大学など、お金にまつわる問題が多く伝えられている。その中心的事件が、国内ではじめて高校が民事再生を申請するという前例のない事案である。
 その多くが学校移転に関する不正問題の金銭事案であろうと思われる。曹洞宗の内部関係に関しては身内の問題として、シッカリその膿を出していただき、ここではやはり一学校法人に対して税金を投入したことや事件により身分を失った関係者、財産や地位まで失った教職員、学校を不本意な形で去らざるを得なかった生徒などに対する謝罪が必要と考える。
  これが社会に対する最低限の人のとしての道ではないか。宗教に携わる人であれば当然の義務と思われる。先に金融機関から刑事告訴された事件により山口県警から事情聴取されたといわれている。一連の事件については平成11年と12年頃には既に防府警察署に父兄や関係者が告訴・告発したにもかかわらず、警察は証拠を持って来いと暴言を吐き、追い返したといわれている。このような警察が果たして正当な捜査をすることができるのであろうか。当時主に動いていた多々良学園の中野宣明氏は度々曹洞宗の問題でも名前が出ている。
  一連の事件に関しては山口県をはじめ、私学共済や検察庁、法務省にも関係者が訴えているにも関わらず不問にされたか、握り潰されたかいずれかといわれていることが、この事件を大きくしたと感じるのは弊社だけであろうか。「悪」はその内部から腐敗し、最後には崩壊することは、世の常といえる。今の政界の酷使しているようでもある。今回の2人の除名処分は曹洞宗が新たな一歩を踏み出したといえ、今後刑事告訴や損害賠償と進む中での全面解決を願っている。多々良問題で暴力団の名を語ったり、使った僧侶がいることが公判でその実名が出てきている。このような僧侶がいること自体が宗教の腐敗であり、このような僧侶への処分を願わざるを得ない。弊社はこの問題の追求の手を今後も緩めることはない。情報を提供をお願いします。

佐藤元イラク先遣隊長の「駆けつけ警護」発言を問題視せよ
 先の参院選で自民党公認で当選した佐藤・元陸上自衛隊イラク先遣隊長の「駆けつけ警護」発言について大手メディアであまり問題視していない現状について、何やら不穏な感じがしているのは弊紙だけだろとうか。佐藤元隊長はイラク派遣をふり返って、今の憲法解釈では集団的自衛権が認められていない現状から、仮に同盟国の軍隊が戦闘に巻き込まれた場合、情報収集の名目で現地に駆けつけ、自衛隊が戦闘に巻き込まれた時は個別的自衛権の発動として応戦することも考えていたという。    
  この佐藤発言は考えてみれば恐ろしい発言である。そもそもイラクに自衛隊を派遣すること自体、憲法上は明らかに違憲であり、佐藤元隊長としては如何に部下を守るかの延長線上で考えた結果の発言とは理解できる。しかし仮に本当に自衛隊が「駆けつけ警護」も名目でテロ集団と応戦した場合、出先の軍隊がかってに動いたという、かつての満州事変の再来になったであろう。政治の怠慢というば怠慢である。自衛隊をイラクという中東の戦闘エリアに派兵しておきながら、法的な整備はないもず、まして憲法上は軍隊を持たないと謳っている訳だから、出先の軍隊がわが身を守るためにかってに動くこともありうることである。
  今でもイラクには自衛隊が派遣されている。今のところ幸いにも戦闘に巻き込まれてはいない。しかし今後何が起こるか誰にも予測できない。折りしも今国会の最大の課題であるイラク特別措置法、いわゆるイラク特措法の延長問題が控えている。参院選で大将した民主党の小沢代表は米国駐日大使に明確に延長反対を伝えた。国内では民主党の延長反対を非現実的として批判する向きもある。しかし本家の米国でもイラクからの撤退を本格的に議論する動きが出ていることも忘れてはいけない。米共和党の重鎮、ウォーナー前上院軍事委員長が来月15日に設定したイラク情勢最終報告までに、イラクから撤退すべきと表明している。一議員ではなく、ウォーナー氏の発言であり、国内への影響力は格段に大きいものがある。
  テロとの戦いは確かに重要だ。しかしテロとの戦いだけの金科玉条のごとく崇め、全てフリーパスは今や通用しない。テロとの戦いは大きな政治課題だが、大きな課題を解決するには、小さな課題を着実に解決することが大切だ。先の参院選で自民党が大敗したのは、憲法改正や集団的自衛権の解釈変更といった、大きな課題ばかりに注力し、年金や農業、生活といった国民の身近な問題を軽視した結果ではなかろうか。政治家の世界は二世議員ばかりになり、苦労した経験のない政治家が国民の目線に立てなくなっている。まさに日本はテロとの戦いに勝利す前に、内側から崩壊しかねない状況といえる。

再刊にあたってのご挨拶
  長期間お休みさせて頂きました。本日より山口中央新聞を再開します。
  休みの間に当社が前々から広く国民に訴えていた政治や社会の問題が、現在現実のものとして現れております。安部首相の政治家としての危うさは、戦後日本の終わりを象徴するとともに、先の参院選での自民党の退廃は新しい日本の一歩を踏み出したともいえると思います。政治や社会は人の良さや、血統で作られるものではなく、やはり一人ひとりの強い志の結集が基本と基盤にないと、社会は変わらないといえます。
  今の日本社会は一番守らなければならない民主主義の基本である国民主権と三権分立の崩壊、特に司法や行政の崩壊が大きな問題といえます。立法府である政治は国民の一票で変えられるが、司法や行政は官僚が牛耳っており、国民の手の届かない聖域ともいえる位置にあります。今日多くの不条理な判決や、行政の裁量で不遇な目にあっている国民は多く、代表例として社会保険庁による国民年金の収奪のあります。ここらで新たしい日本を築くために、国民主権や三権分立を国民の手に取り戻さなければらないと考えます。
  現在の社会は基本や基礎は正しくとも、その運用は間違えだけといえます。権力を持った人間がおかしくなるのか、権力そのものがそうさせるのか、人間がおかしくなるのか、そもそも生まれも育ちもしない同級生や同窓生もいない現在生活もしていない町から立候補して当選することそのものが、これを物語っている。だれのことかお分かりとは思うが。それを許している県民や行政もおかしいということである。
  今こそ近代日本の基礎を築いたといわれる廃藩置県を参考に、廃県置州により、地方分権を徹底し、現在の官僚が国民全てを管理する中央集権から脱皮し、国は国防と外交に専従するよう国の基本体系を変革すべきである。アメリカや欧州に比べ、日本ほど総合力を擁している国はない。官僚により富を収奪され、さらに増税という形で際限ない富を略奪を受けている国民は、今こそ大宝律律令以来の官僚統制社会〜国民主権社会への転換を画策すべき考える。弊紙は微力ながら、国民主権社会の実現に向け今後の問題提起をしていきたと考えております。今後のご愛読お願いします。社主。

年金収奪に対し納税拒否の一大国民運動を、地に落ちた政府に鉄槌を
 5,000万人にものぼる年金台帳簿を紛失した国家責任に関し、これに関わった歴代の政治家や官僚は国民に謝罪すべきである。年金台帳とは公文書であり、公文書を無くすということがどのような不祥事であるか、関係者は認識しているのだろうか。この不正の真相究明をすべく、国家プロジェクトとして警察機関は徹底捜査をすべきである。
  国が従順に国民をだまし、年金という財産を収奪した訳である。そのうえ官僚たちは平然と自分たちの給与を受け取ってきた訳であるが、果たしてこのような愚考を犯し続けた国が他にあるであろうか。個人財産を収奪した詐欺行為を働いたとも言える国家に教育云々ということを議論する資格があるのか。
  日本は財政破産しているといわれているが、実は政治から始まり、司法、警察、地方行政、教育全てが破綻としていると言っても過言でない。それしてもこれだけ国家に愚弄されて、尚税金や年金を払い続ける日本国民とは、全くもって世界の冠たる従順な民族ではないか。この国の政治化や官僚はこのような善良な国民をいいことに、遣りたい放題やっている。
  そろそろここらで日本国民も「仏の顔を三度まで」ではないが、国民のによる国民のための政治を創造する時がきたように思う。例えば年金という財産を国家は収奪した訳であるから、国民はこの損害に対し損害賠償という1億総出の行政訴訟に踏み切るべきである。それだめなら、これまで収奪された年金をペイすべく、今後納税を拒否すべきである。
  今の自民党を中心にた政権与党、並びに万年野党で安住している野党に政治を任せていたのでは、国家は栄えるどころか、衰退が目にみえいる。米国との戦争に敗れ、多くの民を犠牲した過去の戦争から、半世紀以上が経ち、またしても日本は今度に内側の不正で国民は多大の犠牲を払うことになった。この悲惨極まりない世紀末の今日君臨している首相は、国民が選んだとは言え、現在の日本を象徴する首相と言えなくもない。
  弊社はこれまで非力ながら、社会の不正を正すべく発言し続けてきた。日本には歴史もあり、立派に先人もいる。このような人々の教えを基礎として国民に国家再建を呼びかけてきた。次世代国家の再建にために我々国民今立ち上がらなければ日本は21世紀の終焉を迎えかねない。先の国会での安倍総理の答弁を聞いていると、この人は社会のことを本当は知っているのか、勉強しているのか、この人に本当に日本の夢が語れるのか、不安に感じるのは弊社だけではあるまい。 
  国会は毎年膨大な数の法律を作り、議論し続けてるが、果たしてそれで日本は良くなっているのか。法律ばかり作って運用しきれず、法律で縛られ、逆に国民を不幸にしているように思えてならない。先の愛知県の立てこもり事件で命を落とした警察官の事例がそれを物語っている。どんなに立派な装備を持ち、形を整えても、指揮官が運用し決断できなければ、意味をなさない。今の日本に政治家を含め国のトップに運用能力がなく、ただ法律を作れば全ての上手くいくと感知がいしている節がある。
  司法に目を転じれば、現在の裁判は犯罪や不正を裁くのではなく、法律学を議論する場所になっている。本来の裁判を人や社会を裁くものであり、議論は大学でやるべきものた。ここにも日本が裁判制度という形はあるが、運用システムが欠落しているため、形だけの司法になっている。政治、警察、司法全てにわたり、日本は運用システムがない。ここにシステムを植えつけなければ日本は今後も「政治ごっこ」を続けるだの国家になり、最終的には米国をはじめとする強国の植民地になること必至である。
  弊紙は移転の約3週間程度休刊します。この連載を休刊するに当たり、一言申したいとおもいます。我々日本国民はいい加減に現在の政治に言いなりになる悪弊が脱皮し、幕末の頃過酷な年貢に怒り武器もないまま立ち上がった農民の心を思い出し、平成の百姓一揆なる拒税同盟を作る時ではないでしょうか。皆様の勇気の期待し、しばしペンを置きたいと思います。

 長崎市長へのテロに思う
  何故事件は起きたのか。裏には現在の日本社会の行政、政治、官僚、司法などの腐敗体質が影響しているのではないか。もしかしたら日本の国民社会の中に不満を持った人々が激増し、そのうち内乱まで至る可能性を秘めているのでばないか。裁判官の不誠実な判決や政治家の不正、官僚のわがままし放題の行政。加えて法律という規制で国民を縛り、税金を吸い上げる現在の日本にそろそろ国民が敵意を見せた一面とのいえる。
  確かに暴力は許されない。そう考えるなら国は失敗や不正をした公務員を何故取り締まらないのか。ここに国民の意識との乖離が垣間見える。長崎市長のテロは絶対に許されないことではなるが、公務員や議員の犯罪はもっと悪いような気がする。最近日本の方向性がおかしくなっているのではということを感じざるを得ない。
  行政や政治家は自分たの利権さえ守られればいいと考えている節がある。近代日本で公務員や議員の数は現在の10分の1に減らしてる機能すると断言できる。長崎市長へのテロは今後の日本社会の行く末を思わせるような気がする。このところ長崎県発の大事件が多くみられる。過去をみればバスジャック、少年による幼児殺害など日本の犯罪史に残る凶悪事件が発生している。このように思うのは弊紙だけであろうか。本当に日本には組織防衛だけに重点を置き、小さな正義をないがしろにしている面が多々あり、このようなことが昨今の凶悪犯罪を招いてると考える。
  警察より暴力団のほうが強くなれば、国民は暴力団を利用するようになり、暴力団を必要悪として容認しかねない社会となるのではないか。そのような社会のしないためにも小さな正義を尊重し守ることが不可欠と思われる。それか今の日本に皆無であり、それが現在の日本の組織社会ではないか。

高野連にもの申す
 
西部球団の不明朗に資金提供に端を発したプ野球界の腐敗は、結果的に高校野球の特待生制度に飛び火した。結果的に高野連のあり方そのものにまで問題追求の矛先が向かっている。この背景には何があるのか。弊紙には旧多々良学園不正問題が持ち上がった際に、山口県防府市の父兄が地元と全国の高野連に抗議ゆ申し入れをした経緯がある。もっとも高野連は「わが組織は捜査機関ではなく、調査は出来ない」との以下に官僚組織的な返事であった。同じく県教委も同じ回答だった。
  当時の多々良学園野球部は暴力事件、たばこ吸引事件、夜間外出で警察の補導されることたびだびだった。監督の暴力、私文書偽造。加えて不正転校問題もあった。これら全てをもみ消したうえ、その関係者がいまだ存在し、学校の管理職として勤務している。果たしてこれで学校再建が可能なのであろうか。このような事態を報告したにもかかわらず、高野連は調査すらしない組織であり、既にその時点で組織としての体をなしていなかったのてばいいか。仮にあの時点で詳細に調査に着手していれば、今日のような多々良学園倒産という事態には至っていなかった可能性もある。
  ここでは旧多々良学園を取り上げたが、全国の私学のほとんどが何らかの形で特待生制度を採用している。今回の私学の特待生制度へのバッシングの背景には何があるのか。あくまで推測の域はでないが、文科省を中心にした官僚組織が昨今の公立高校離れに歯止めをかけるべく、、私学潰しを巧妙に図った結果ではないか。断言はできないが、仮に私学が特待生制度を全廃した場合、私学のメリットはなくなり、中学生は雪崩を打って私学離れをお越し、公立高校への入学への舵を切る可能性が高い。受験生激減の影響を受けた私学がそのむ多くが倒産の憂いを受けること必至であろう。
  文科省は私学を潰すことで、私学助成を減らすことを狙っているのではないか。特待制度の廃止を提言する以上、公立高校の推薦制度も廃止する必要がある。でなければ不公平である。全てが試験制度となれば、個性や特技を持った生徒を活かす術がなくなる。勉強ができることも大切だが、プロ野球やオリンピックを目指す生徒の将来への道を閉ざしてはならない。大学をみてもそうだ。東大という学問のトップもあれば、一方でイチローや松井といった世界の舞台で活躍する選手もいる。これらのトツプアスリートがいるのは多様に人材を入学させるという特待制度があったが故であろう。ここに私学の良さがある。ここし一つ冷静の議論を望みたい。

日本は「法治国家」ならず「官僚統治国家」

  昨今の日本の状況をみてつくづく感じることは、日本は法治国家ではなく、民主主義国家にとって最も大切な「三権分立」はないということだ。考えてみみたまえ。ほとんどの法律は官僚が作り、法律も官僚に強い裁量権がゆだねられているという事実。官僚支配だから、裁判は全て官僚の手のひらにある可能性もあるではないか。
  国会議員や地方役人の不正には一切手を入れず、民間人に関わる犯罪のみ大きくクローズアップされる傾向にあるというのは言いすぎであろうか。例えばライブドアの堀江被告の問題。彼は今や極悪人のごとく扱われている。あれだけ時代の寵児としてメディアに取り上げられた彼がである。確かに彼は株式市場の信頼性を失墜させ、粉飾決算で多くの投資家を欺き、莫大の被害をもたらした。このことは否定できないことである。
  しかし堀江被告は所詮民間企業の経営者である。金銭的被害を与えた対象はあくまで投資家に対してである。投資家は利益を上げるために投資している訳であり、リスクを負っていることは覚悟の上であろう。所詮は堀江被告は民間人であり、被害を受けた人々も限られた人たちである。
  しかし堀江被告よりもっと国民に大きな被害を齎している人たちがいる。官僚である。国民から税金や保険料を徴収し、自分たちの裁量で使い、国民の損害を与えても、何ら罰せられない人たちだ。地方公務員の行状を見るがいい。あれだけの「裏金」をプールし、税金を横領したにもかかわらず、刑事罰はなく、発覚した後に返金するということでお茶を濁している。おかしまはないか。
  仮に公務員の裏金プールという税金横領がこの程度で済むのであれぱ、泥棒した後に返せば罪を問われないことなになる。窃盗罪という罪は返せば無罪放免なのか。おかしくはないか。何度も繰り返すがライブドアの堀江被告など、官僚の税金の無駄遣いや横領、年金財政の破綻かに見れば可愛い。官僚が与えた国民への資金的損失は等しく国民が蒙った被害であり、法律に基づいて真面目に納めた税金を等しくドブに捨てたのだから。毎日のように発覚する地方議員の手当ての多さ。何度も天下って退職金を手にする官僚。
 国家は法律を無視しても罰せられないという例を出したい。毎度の如く国民から国を相手に訴えている国勢選挙を巡る「一票」の格差問題。最高裁も毎度のごとく「違憲」としたうえで、国に適切に対処するよう進言しているが、国は動くことはない。一票の格差を是正すれば、自民党の政権取りに影響があるからだろうが、これなどまさに選挙という民主主義の軸を否定する行為といわざるを得ない。
  個人の犯罪は情け容赦なく裁く一方で、国家や官僚、政治家が関わった犯罪は見逃すというか、有耶無耶にする日本という官僚国家は、法治国家を否定する国家の体を成していない国と言えないか。仮にこのような不公平がまかりとおるなら、我々個人は「あだ討ち」を選ばざるを得ない。「あだ討ち」は近代国家では否定されている。それは国家が法に基づき犯罪を公平に裁くという信頼があるからである。
  外国を例に挙げて日本を否定する気はないが、米国では少なくとも大統領でも裁判の証言台に立たされる。大統領の家族でも出来の悪い子どもは犯罪を犯せば報道される。日本はどうか。少なくとも政権で権力わ持っている政治家や権力者の身内の関する不祥事は表沙汰にならないような気がする。
   

そのまんま東知事が証明した「政治家の意味不明」、政治家全廃宣言

 宮崎県知事に鳴り物入りで当選したタレントのそのまんま東氏を巡っては、メディアでの注目度は高まっているが、実質的な中身はゼロという実態が明らかになりつつある。石原東京都知事を含め、自治体の首長に代表される政治家という人種が如何に「インチキ」かということがようやく認知されたということだ。弊紙が以前から指摘していることだが、日本という国は国民一人ひとりの知的レベルが均質化されていることもあり、世界でも際立って同質性の高い国である。そのような国には、カリスマ性を備えたリーダーは必要なく、極端な例を言えば政治家さえ必要ないかもしれない。 
 そのまんま東知事にしても、任期4年間を何となく過ごし、何の成果を出すことなく知事を退任することは間違いない宮崎県民も国民も別に東氏の4年間を総括する気もなく、4年前のマニフェストなどはなから忘れている筈だ。というより日本には強固な官僚統制が敷かれ、国民も知的レベルが均質化しているとくれば、首相や知事など特別なことなど出来る筈もなく、パフォーマンスが如何に優れているかだけを競い合って日々過ごしているだけであろう。
  企業経営を担っている経営者は業績不振、会社倒産という市場からの査定を受けるなど厳しいポストだが、代議士や知事、地方議員などはもともといくら財政赤字を出そうが絶対に倒産しない行政運営を担当しているたけであり、ある意味では気楽な商売である。国家や地方の運営といった、如何にも重要に仕事をしているかのようにPRしているが、実態は「空っぽ」の世界である。
  政治の世界など好きな人種がかってにやっていればいい世界である。であればかってにやらせておこう。ただし総て特権を剥奪する必要がある。歳費は必要最小限に絞り、人数も最低数まで削減することが大切だ。衆議院議員など100人程度いれば良く、衆議院の二軍に過ぎない参議院など即廃止。歳費は年間1人500万円程度で十分。市町村議員は選挙での選出を止め自治会会長が兼務。県議は市町村議会議長又は各市町村議会り代表1人が兼任すればいい。もう議員は必要ない。こんな無駄はやめるべきだ。

富山県警の誤認逮捕が浮き彫りにする国家権力の脅威

 犯罪者を作り上げる警察組織の構造的問題が明らかになった。富山県警による誤認逮捕がそれである。自白を強要され、法廷で懲役3年の実刑判決を受けた男性が、服役を終えて釈放された後に、真犯人の存在が明らかになり、無罪だったことが判明したという。何とも恐ろしい事件である。国家権力で犯罪者にされ、人生の一期間を刑務所で過ごさなければならなかったこの男性を無念はいかばかりかと思うと、声もでない。そして当の冤罪被害者である男性は行方すら判らないという。
 確かに メディアが一部指摘しているように当時罪を認めた男性にも問題があるかもしれない。しかしそれは取り調べの現場を知らない第三者の無責任な意見でしかない。取調室で昼夜分かたず、刑事の取調べを受けるという手続の過酷さが分かっていない。人間とはそれほど強いものではない。銃刀法違反の罪で現在裁判中の私の知人の体験談を以下お教えしよう。
  ネットビジネスを手掛けている知人は、海外で飛び出しナイフを輸入し、別の知人にまとまった数量を販売。この知人がネットで飛び出しナイフを販売し、この事実が警察に知られ、芋ずる式に2人が逮捕されたというもの。しかし私の知人は税関で正規のチェックを受けて国内に持ち込んでおり、勿論知人は銃刀法の法文を知らなかった。しかしよくよく法文を読むと、刃渡りの長さから違反になることが判明したという。しかし問題はこのことを知らなかった税関職人にもある。本来一般人は銃刀法なる法律など読んだことがある筈がない。知人は税関が飛び出しナイフをチェックとOKをもらったから別の知人に販売した訳である。さて本論のこれからである。銃刀法で逮捕された知人は昼夜分かたない取調べを受け、「お前のビジネスをダメにしてやる」とか「商売人は金持ちだな」とかいう暴言を浴びせられながら、激しい取調べを受けたという。知人曰く、「あれほどの取調べを受ければ、納得できなくてもとりあえず罪を認め釈放されたいと思う気持ちになる」と述懐していた。
  警察の取調べとは密室であり、24時間好きな時の取調べを強要されれば、通常の人は絶対に耐えられるものではない。多分、富山県警の誤認逮捕もそのような経過から起こった事案と思われる。同じようなことは鹿児島県での選挙違反摘発でも、警察に強引な捜査の結果として起きている。
  日本の警察は捜査権は警察組織だけが持っている特権である。そこには競争原理が働く余地がない。日本人は当たり前と思っているかもしれないが、欧米では捜査権を警察組織が独占している訳ではなく、一部民間捜査への道が開かれている。加えて日本の警察組織の構造的問題ともいえる、強固な階級社会と官僚統制システムがある。確かに欧米でも警察には階級がある。軍隊にもある。ただ日本の場合は、そこに官僚統制思想が混在しているため、階級が必要以上に実際の組織運営を硬直化させ、組織の腐敗を招く構造的欠陥があるといわれている。
  国家権力というリバイアサンは個人1人くらい簡単に犯罪者に仕立て上げ、社会から抹殺することが出来る恐ろしい存在だ。今世界ではテロ防止や安全保障強化を名目に、個人情報保護やメディア規制を強める動きが出ている。無実の人間を犯罪者に仕立て上げる国家、そして安全保障を隠れ蓑にした個人権利の抑制は、かつて来た道を再来に映る。

多々良学園移転工事に絡む教職員解雇の裏事情
 
 
多々良学園移転工事に絡む教職員の不当解雇について、その内情を紹介する。解雇された教職員は約5年間に渡る裁判で全面勝訴したが、裁判の過程で明らかになったことは宗教法人の関連団体としては耳を疑うようなことばかりであった。
  まず現在も宇部市内公立高校で教鞭をとる現職教諭が、多々良学園のとある教員を追い落とすべく、怪文書を多々良に送りつけるなど、謀略を図っていたことが判った。怪文書は高体連の部長名で書かれた正式の文書だった。しかし内容は虚偽のオンパレード゛で、多々良で一定の成果を収めている教職員への嫉妬から出た行動と思われている。
  ただ問題は公文書を出した現職公立高校教諭の単独行動ではなく、裏には教職員を放逐したい多々良との連携も見え隠れしている訳である。更に県の柔道協会関係者も絡んでいるとも言われている。また県警で現職刑事部長まだ歴任したとあるY氏の影も透けてみえる。
  現在多々良学園の施設は新しいスポンサーが入り、新しい学園としてスタートしている。しかし一方で、旧多々良学園の役員や曹洞宗を巡っては、金融機関が損害賠償の訴訟を起こしている。高校という教育の現場で起きた、およそ教育との相容れない様々な問題。多々良学園の問題は法的措置と新しいスポンサーで全て決着した訳ではなく、まだまだ解明すべき点が多いことをここで強調しておきたい。

国民国家の終焉で、官僚統制解体を

 昨今のメディアや政界の主要テーマは、防衛庁の省昇格、教育基本法改正など「国家」絡みの話が多い。新聞や雑誌、書籍でも「国家」というキーワードが頻繁に出てくる。北朝鮮の核開発や中国の軍拡路線といった安全保障問題の懸念事項の増大ともあいまって、国家意識の確立こそ急務といった論調が増えている。今や国家のために貢献する国民を育成することが、時代的要請のごとくの風潮が高まっている。
  しかしここは冷静になって、考えてみる必要がある。「国家」という我々が常日頃目にしている言葉とは、あくまで言葉であり、「国家」という物理的物体がある訳ではない。「国家」というのは概念であり、人間の頭の中に意識として埋め込まれている幻想に過ぎない。「国家」という概念が誕生したのは、決して古い時代ではなく、ナポレオンの時代からといってもいい新しい概念である。戦争に勝つためには、傭兵ではなく、国民を兵士とした「国民国家」のほうが適しているという理由から、国民国家という制度が世界各国に広まった。
  だが時代は完全に国民国家の終焉を告げている。これだけ物と人が世界を流通する時代では、国家という概念は本当の意味の概念に過ぎなくなった。加えて年金も破綻し、国民国家が国民の生活を保証できなくった現在で、国家の縛られることの方が不利益が大きくなっている。官僚が好きなように国民の財産を侵害し、国民の富を収奪し続けている状況では、日本に居ること自体が、不利益以外の何者でもない。もうそろそろ国民国家という制度を止め、官僚統制も解き、国民に自由を与える時代が来ている。

特ダネ情報!

 多々良学園の一連の不正問題で、山口県高校柔道界のY教諭と、既に退職したK教諭の問題を取り上げる予定である。内容は県教育界を揺るがしかねない大きな問題になる可能性が高い。詳細は近日中に再掲予定。

行政と「不二家」の違いに見る、日本の官僚統制体制と官尊民卑思想

 新年明けましておめでとうございます。創刊以来、ネットを主要媒体に世相評論を展開し、世の中の歪みや疑惑を指摘しております。小規模体制ではありますが、タブーを許さないという信念のみで奮闘している次第です。弊紙が度々取り上げている多々良学園の問題は、無責任体質を露にしている現在の日本を象徴する事案です。経営計画もない中で、募金を主要財源として校舎移転事業を強行し、集まらなかったから民事再生法で、借金を棚上げにしてくれという話が通るで筈がありません。 
  ましてその移転事業に、金融機関も絡み、当事者が子どもの教育を手掛ける教育機関というのでは、まさに道徳の崩壊てといっても過言ではありません。多々良問題ではメディアでは語られていにない、多くの声なき被害者がいます。職を追われた者、学校を去らなければならなかった生徒など。そういった負の問題は全く語られていません。 
  政界の目を移せば、昨年の「ヤラセ質問」で問題化したタウンミーティング。安倍首相は自身の給与カットでお茶を濁しましたが、変来は問題を起こした電通や担当役人への厳正に処分であるはずです。自身の給与カットで問題を有耶無耶にしたことは、実は多々良問題と根は同じなのです。非を非と認め、責任を取らすということが、全くなくなっているのです。責任を取らせなければ、また同じ問題が発生します。この無責任体制は政治と行政が絡んでいる所で顕著な訳です。 
  なぜ政治と行政の分野だけで、無責任体制が蔓延しているいえるのか。今回の菓子メーカー「不二家」の問題を見てください。不二家は食品での瑕疵ということでもありますが、社長辞任で、全国の店舗での販売停止という非常に厳しい措置をとらされました。民間の食品メーカーなら、ここまで厳しくされる訳です。一方で、行政や政治の世界では、そこに命に関わる訳ではないということもありましょうが、結局最後は有耶無耶に終わっています。ここに日本が官尊民卑、官僚統制という大宝律令以来の悪しき伝統がある訳です。今年も読者諸兄の情報をお待ちしております。

 

政官財のモラルハザード露呈で、崩壊の淵さ迷う日本
 
 今年1年の世相を振り返って、言えることは政官財のリーダーたちのモラルハザードか際立って多かったいうことと、「政治には何も期待できない」ということが国民の間に浸透したことであろう。本間政府税調会長の愛人との公務員官舎入居を筆頭に、福井日銀総裁のファンド運用、「やらせ」ミーティング、福島・和歌山・宮崎各県の知事による談合を巡る不祥事、石原都知事の公私混同の都政運営など、いやはや日本はリーダーの腐敗でモラルなき腐敗列島と化した。国民の圧倒的支持で誕生した安倍内閣にしても、どう考えても官僚の手のひらで踊っているとしか言えない状況を露呈。リーダーシップを発揮するどころか、律令体制から続く日本の官僚主導体制に押しつぶされよとうしているありさまだ。 
  リーダーが自分たちの醜さを露呈する中で、大人の側から教育基本法改正か成立した。お笑い種である。教育基本法改正といって、一体どの位の人がこの「教育基本法」を読んだことがあるのか。多分ほとんどの人はこの法律の法文など読んだことがないはずである。それよりも何より、戦後日本はこの教育基本法のもとで、高度経済成長を達成し、日本を世界第二の経済大国に発展させたのである。そうであればこの教育基本法の教育の基本体系としては何ら問題なかったといえるのではないか。自分たちリーダーが腐敗とウソにまみれ、子どもたちが問題行動を起こしているからといって、教育基本法改正で全てが解決すると考えるのは、どうみてもトンチンカンな発想てある。問題があるとすれば、今のリーダーが教育基本法を運用できていないだけである。自分たちの非を棚上げし、その法律を問題視するのは論理の捻じ曲げである。
  そもそも「愛国心」といった本来が心の問題を国が奨励すること自体、先の防衛庁の防衛省格上げともあいまって、何となくきな臭い感じがするのは私だけか。イラクの混迷をみても、今やブッシュ大統領のイラク戦争は完全に間違いで、論理が破綻、米国の有識者もそろってイラク政策の転換を打診している。にもかかわらず、米国のイラク戦争支持を打ち出した小泉前首相を継承している安倍首相は今だ、自分の言葉で前内閣の政策上も瑕疵を認めていない。ブッシュ大統領のイラク戦争を支持した当時の英国のブレア首相は支持率を下げ、スペインの当時の首相も今や失脚している。要領のいい小泉首相だけが上手く切り抜けたわけだ。日本は本当に無節操な国民なのかもしれない。
  山口県の目を転じると、宗教法人の曹洞宗系の旧多々良学園が当時の僧侶を中心にした理事が校舎移転に際し、集まるあてのない寄付金を当てにした事業を強行、高校としは全国初めて破綻するという不祥事を起こした。大学キャンパスを思わす校舎など不動産は、四国の進学塾が取得する顛末となり、日本の教育のいい加減さを全国に知らしめることとなった。校舎移転事業に際し、融資した金融機関は自分たちの審査能力を棚上げにしたまま、融資金の返済を求め民事訴訟をおこしている。
  まさに日本は政治から始まり、教育、宗教界まで、今やモラルハザードの頂点にある国家に堕落した。メディアでは毎日様々な日本を巡る課題を報道し、有識者といわれる人々が解決策を難しい顔をして議論している。しかし議論だけ延々と続くだけで、何ら事態の改善は進んでいない。一体の現状はとう見ればいいのか。答えは簡単である。解決するはずがないのである。解決できないことは誰も知っていながら、解決できるような論調を毎日流しつづけ、自分たちがビジネスとして利用している訳だ。こういった現象を何というか。問題解決ビジネスである。論調だけ立派な話で溢れ返っているが、あくまで言葉の遊びに過ぎず、国民も議論を読み、見て、聞いて満足し、「解決した気になって、満足している」のである。
  ではどうすればいいのか。もう政治や日本に期待するのはやめにしよう。第一、国家とという概念は、人間の観念の産物に過ぎず、実態があるものではない。国家がある前、個人という自分があることを忘れてはいけない。人間という個人の観念がなければ、国家という概念も生まれようがない。今後国民の政治的無関心は強まることはあれ、弱まることはない。政治には益々優秀な人は参入しなくなる。国民が政治には何も期待しないという正しい認識を持った時、初めて日本は再生する。

本間会長の政府官舎愛人同居からタウンミーティングやらせ質問、石原都知事の都政私物化などにみる日本は無責任体制 

 政府税制調査会の本間会長が官僚向け政府官舎に入居していた問題は安倍首相の擁護とは裏腹に、自民党関係者や国民世論の間では厳しい見方が強まり、本間氏の辞任は避けられない見通しだ。首相や官房長官は「プライベート」な問題であり、職務を全うすることで責任を果たしてほしいうとのコメントを発しているが、仮に本当にそう思っているとしたら、本質を見誤っているとしか考えられない。まず国民から徴収する税を制度を決めるトップは人格や素行などあらゆる面で一級の人物でなくてはならない。でなければ国民が納得する訳がない。
  政府官舎の売却を主張している張本人が、官舎に入居していただけではなく、愛人と住んでいたとなれば、学者というより人間として失格であり、政府の調査会会長としては最も不適任者である。愛人がいるということは夫婦関係が破綻していると推察できる。家族も満足に収められない人物が国家の制度を決めるなど、漫画である。確かに背景には本間氏の政策や主張に反感を持つ財務官僚のリークという側面はあるであろう。だが財務官僚にはめられるようでは、所詮脇が甘いといわざるを得ない。
 何よりも、先ごろのタウンミーティングのやらせ質問問題での安倍首相の給与カットとあわせ、このような政府が果たして子どもたちの教育を是正すべく可決とした教育基本法改正などをに取り組む資格があるのか。愛人を囲い、やらせ質問で法案化を図るなど、子どもの教育より、大人の頭の構造を変えるのが先であろう。
  東京都の目を転じれば、石原慎太郎の都政の私物化もある。税金で自分の子どもを海外視察させる親ばかぶりは、石原慎太郎の本質を現しているといえる。「息子は才能ある芸術家」だから派遣したという石原慎太郎の言い分は「自分が全くわかっていない」といえる。仮に息子が才能ある芸術家だとしても、自分の権力的立場を考えれば、絶対に血縁者を使ってはいけない。日露戦争では乃木大将は自分の息子を最も危険に戦地に派遣し、戦死させている。それこそが「高貴ある人はそれなりの義務」があるというものてある。石原慎太郎は権力に居座り続け、「頭が呆けた」といっていいのではないか。
  とにかく今の政治家に教育を語る資格はない。語れば語るほど教育は崩壊する。日本は今、戦後最大の危機にある。それは総無責任体制という危機である。誰一人責任をとらず、為政者が自分のことを考え、逃亡を考えている。日本は崖っぷちにあることを再認識する必要がある。
 

タウンミーティングの「やらせ」質問で安倍首相「報酬返還」は欺瞞、担当官僚の首切り、教育基本法改正案は手続ミスで廃案に
 
教育基本法改正などを巡って政府が開催したタウンミーティングで「やらせ」質問があったとの調査委員会の調査結果を踏まえ、安倍首相は自らに対する「処分」として首相報酬100万円を国庫に返納する意向を示した。大手誌も一面トップで報じ、「やらせ」質問問題の幕引きを図ろうとする政府の片棒を担いでいるように見受けられる。だが安倍首相の報酬の国家返還記事は重大なポイントが欠落していることをここで明らかにしたい。報酬を返還するということは、安倍首相は「やらせ」質問を国家として認めたた訳であり、それであれば報酬の返還などということでなく、「やらせ」質問をさせた当事者の官僚の首を切り、タウンミーティングという手続で重大な瑕疵があったして、教育基本法改正案は廃案として一からやり直すのが筋ではなかろうか。
  手続は犯罪捜査では当たり前のことだ。逮捕した容疑者の取調べや証拠収集の過程で、違法な方法での収集や拷問を伴なう取調べなどが明らかになれば、起訴することすら出来ず、仮に違法取調べなど手続ミスが裁判で明らかになれば被告人は無罪になるのは法律手続のイロハを知っている者なら常識である。
 今回のタウンミーティングに置き換えれば、国民の意見を教育基本法改正案の法案化に反映するとの趣旨は間違っていない。正しい手続で出てきた国民の意見を聞き、仮に改正が拙速であれば、改正を見送ればいいし、仮に改正案を法案化するのではあれば、国民の声を活かす形で法案化すればいいのである。しかしここに「やらせ」質問を官僚になどが出席者に依頼し、謝礼を払ったとなれば、これはもはや国民に対する詐欺と公金の違法支出になり、本来は刑事捜査の対象になるべきものであろう。
  官僚は教育基本法改正は既成の事実として、国民を欺き、「やらせ」質問で急ぎ改正を目論んだということであろう。日本には元々「やらせ」という文化的体質が色濃く残っている。例えば政府が法案を作る際に、有識者などを諮問委員として日当付で選定し、官僚の作る法案の沿った形で答申させるというのは法案化の常識になっている。仮に有識者の1人が官僚の意向とは反対の意見を述べようものなら、この有識者は次からは決して委員に選ばれることはない。全て官僚の御用学者で委員会が組織され、官僚の作文通りの諮問をしているのがこれまでの法案化の姿である。
  さて今回のタウンミーティングでの「やらせ」質問は、これまでの「やらせ」答申の一般国民版と言えばわかり易い。日本国民は官僚に言いように馬鹿にされ、操られていることを、今回のことを機に再認識する必要がある。安倍首相は自らの責任をとり、報酬返還を表明しながら、教育基本法改正案は議決することを強調しててる。もはや論理矛盾である。何度も言うが、手続のミスがあった法案は根本が間違っている訳でであり、即刻背反にするのが筋である。安倍首相の周りにはこの程度のことも進言できる補佐官もいないとみえる。安倍首相は今や完全に浮き上がっている。自ら正しくリーダーシップを発揮できる情報すら入っていないように見受けられる。
  それにしても教育基本法改正で子どもたちに対する「愛国心」の涵養、防衛庁の防衛省への格上げ、アメリカのイラクでの混迷、北朝鮮の核問題を巡る六カ国協議での日本の無力化などを見るにつけ、今日の日本を巡る状況はまさしく、いつか来た道ではないが、大東亜戦争に至る二二六事件前夜を彷彿させるものがある。政府がどうしてここまで教育基本法改正を急ぐのか。背景には中国や北朝鮮と戦争させる体制を作りたいという大きな意思が背後になるように思えてならない。この疑念が杞憂であることを望む。

曹洞宗多々良学園、金融機関と全面的に争う構え
 返済のあてがないにもかかわらず資金を借入れし破綻した旧多々良学園を巡り、融資元のもみじ銀行が曹洞宗を訴えた裁判の公判で、曹洞宗は「校舎移転事業を手掛けたのは多々良学園であり、曹洞宗は管理監督する立場にとない」として全面的に争う構えを見せた。旧多々良学園は曹洞宗系の学園であり、曹洞宗本部から学校に役員が派遣されている以上、そこに管理監督という機能が全くなとは言えず、金融機関が破綻の責任を宗教法人本体に求めるのは、自然の流れといえなくもない。
  ただ金融機関は単なる被害者かと言えば、そこはかなり悩ましいものがある。本来は貸し手責任という観点から、今回の旧多々良学園の破綻での焦げ付きは金融機関の与信能力の低さに起因しており、裁判に訴えること自体にナンセンスといえなくもない。金融機関は事業資金のほとんどを寄付に頼っていたことも知っている筈であり、本来は寄付に依存した事業に融資することこそ問題の根本である。
  仮に中小企業が寄付をあてにした事業計画を提示したとして、金融機関は融資するであろうか。絶対ないと断言できる。金融機関は曹洞宗というバックがある学園だから、寄付に寄りかかった事業に融資したのであり、そこには金融機関と学園との間に暗黙の了解はあったみるのが普通であろう。融資金額が回収できないため相手を訴えるという今回の金融機関の動きは、株主代表訴訟を睨んでのことて゛あることは容易に察しがつく。曹洞宗多々良学園にとっては刑事事件になり得る可能性もある。仮に刑事事件に発展すれば宗教法人活動の停止の可能性もなきにしもあらずということもあり、今後も相次いで複数の金融機関との訴訟が始まる。双方ともお互いのキズ口に塩の塗りあうことはないとは思われるが、今後の裁判を通じての真相究明を期待したい。
 

情報公開なく、メディアの与党寄り報道が反乱する日本では民主主義機能せず
 先頃世界各国の情報公開度ランキングがどこかの国際機関から発表され、北朝鮮が最下位となったことは別に驚くには値しないが、日本も昨年よりランキングが13位落ち、先進国の中では低い国の一つに数えられていた。ランキングが低下した最大の理由としてこの機関は記者クラブ制度を上げていた。記者クラブ制度は結局、大手マスコミが官僚の都合のいい情報を流す諸悪の根源であり、先進国でこのような制度があるのは珍しいといえる。
  日本の情報公開度の低さの原因は、記者クラブ制度だけの原因にとどまらない。日本は戦後この方、本当の意味での政権交代が皆無だった珍しい国であり、政権交代がない結果、前政権の腐敗が全く知らされず、闇に葬られるとんでもない国だということを再認識しておく必要がある。
政権交代は政治が安定せず、マイナスではという一部識者の意見もあるが、とんでもないことである。政権交代とは長期政権につき物の政治腐敗を一掃する大切な意味がある。昨今問題になっている県庁の裏金事件などは、知事の長期政権故に起こった構造問題である。
  情報公開がない中で、有権者は何を根拠に政党を選ぶことが出来るのか。日本には政権交代がない結果、情報公開もない訳であり、そのような状況の中での選挙は選挙の体をなしていない、形だけの選挙に過ぎない。日本が官僚統制国家で、本当の意味での民主主義国家でないというのはここらあたりに原因がある。
  例えば戦後の自民党の政権運営の過程で、米国のCIAが自民党に資金を提供していたことは、アメリカの機密文書の公開のよって今や明らかになっている。この事実は日本から出たものではない。A級戦犯だった岸元首相が巣鴨プリズンから釈放され、戦後首相まで上り詰めたのは米国の戦略の結果だったという事実も米国の機密文書開示から出ている。米国はケネディ暗殺にかかわる機密文書も近く公開するというが、その際はケネディ暗殺のこれまでの議論に決着がつけられるものと思われる。
  情報公開とは全ての政治的意思決定の根底であり、これなくして民主主義は機能しない。今回の米国中間選挙で野党・民主党が地すべり的勝利をした背景には、米国メディアがブッシュ政権に隠れた疑惑を徹底追及し、政権の政策の問題を国民に提示し続けた故に、国民の民主党という野党に一票を入れたわけである。健全なメディアが存在しているから、国民の民主主義に基づく政治行動を起こせる訳だ。そしてブッシュ大統領も民意を素直に受け入り、敗北を認め、国防長官を解任するという決断をした訳であり、ここに米国の民主主義の健全さを見出すことができる。
  翻って日本はどうか。情報公開はなく、メディアのほとんどが与党よりの報道ばかりしている。これでは国民は政権とメディアのマインドコントロールを受ける以外にない。結的に世論調査では常に内閣支持率60%という考えられない数字がメディアに踊る。日本には既に民主主義はなく、今や集団アノミー状態に陥っている。日本は崩壊の淵にあるといっても過言ではない。
  昨今社会問題化している教育にしても、例えば履修隠しは受験競争の前で効率一辺倒を追求し、国も教育委員会も知って知らぬふりをしていたことが背景にある。自殺は「いじめ」という現場の問題に踏み込まなかった根本原因がある。いずれも文科省をはじめ、教育委員会、学校現場が過去の情報公開を怠り、本格的な問題解決に着手しなかったことが今日の混乱と教育現場の崩壊を招いた原因と思われる。関係者の猛省を求めるとともに、情報公開の徹底を進めてもらいたい。
 

地方議員の決まり文句「住みよい町を作る」は陳腐なスローガン、結局目立ちたいだけでは
 来年山口県議選で、ベテランの引退や区割り変更から複数の新人の出馬の動きがでている。最近ではインターハイ全国優勝の元高校バレー監督が出馬への名乗りを上げているほか、父親の県議引退に伴ない息子が世襲で出馬する動きなど、相変わらず地方のボスともいえる県議の魅力は衰えていない。
  地方の選挙での最近の特徴とは何か。まず言えるのは経歴の中で特徴が出せるという点だ。現職ではヨットで太平洋を渡った先生がいる。もちろん元高校バレーの監督という経歴も一つの武器。さらには父親が議員というのは世襲という武器を持っていることだ。いやはや今や地方議員になるためには、見識とか学識というよりは、目だつ武器を持っていることが重要になっているらしい。
  しかし考えみれば不思議なことがある。毎回出馬する地方議員の決まり文句は「住みやすい町を作る」だ。しかし住みやすい町とは一体何か。普通の人は普通に暮らしているし、まあ贅沢を言えば「もう少し」収入アップすればいいの程度だろう。「住みやすい」というスローガンはもはや聞き飽きた、何の内容もない形容詞になっている。
  そろそろ核心を語ってみよう。今の地方議員とは結局は「自分が上に立ち、目立ちたいだけ」ではないか。よく「政治のリーダーシップを期待する」と国民の声を聞くことがある。しかし私などは「赤の他人」に引っ張ってほしくないし、自分のことは自分で決めたい。誰も赤の他人にリードしてもらいたいとは思わない。人は自分の運命は自分の意思が決めたい。「住みよい町をつくる」など大きなお世話だ。

 旧多々良学園移転事業巡る金融機関からの職員出向疑惑
 旧多々良学園が当時の大口債権者であるもみじ銀行から損害賠償で提訴された続き。防府信金などを含め多々良学園に移転事業に絡んで多額の融資をした当時の金融機関の提訴が相次いでいることは前回も書いた。貸し手責任という金融の原則から言えば、提訴はおかしな動きであり、本来は抵当物件を差し押さえ、逆ザヤの差額は貸し手側の金融機関の審査能力がなかったということで、そこまでのことであろう。
  ただここに一つの疑問がある。実は今回提訴した金融機関の中の一行は旧多々良学園の移転事業が浮上した際に、行員を事務員として学校に出向させていたという話がある。詳細についてはここでは伏せるが、この動きは当時の旧多々良学園の財務内容がおもわしくなく、そのままでは融資が実行できないことから、金融機関が財務を健全に見せかけるため行員を学校に送り込み、財務の内部操作をしたという疑惑だ。弊紙には複数の情報が寄せられているが、この一連の動きは曹洞宗の関係者の指示で行なわれたと内部関係者は語っている。
 
 曹洞宗、金融機関から相次いで訴えられる、注目される今後の成り行き
 旧多々良学園の破綻に伴なう一連の問題で、校舎移転事業に絡んで資金融資していた金融機関が曹洞宗を相手取り返済を求める訴えを起こす動きが相次いでいる。旧多々良学園の理事に返済能力がないということで、曹洞宗本体を訴えたものだ。学校の移転という公益性の高い事業とはいえ、一民間法人の事業に変りはなく、当事者が破綻した以上、金融機関は「貸し手責任が」あり、訴えるというのも何とも不可解な動きではある。
  寄付金を当てにした事業とはいえ、仮にも曹洞宗の流れを汲む学校法人の校舎移転事業であったため、金融機関も信用して巨額の資金を融資したのであろう。金融機関としては集まるあてがないにもかかわらず、事業を進め、結果的に破綻したのは詐欺にあたるという論旨で訴えに出たものと思われる。
  多々良学園移転事業に絡む一連の問題の核心とは何か。行政、警察、スポーツ団体、金融機関などが校舎移転という一大プロジェクトに絡む補助金という税金に群がり、結果的に学校という神聖な場所を破壊したという故とにつきる。被害者は税金を納めた国民であり、直接の犠牲者は生徒といえるのではないか。その中には真面目に職務を遂行していた教職員もいるであろう。その人たちは学校を追われ、厳しい状況におかれていることを彼らは分かっているのだろうか。
  生徒の中には、学校を去らざるを得ず、就職もままならない子どももいるという。校舎移転という無謀な事業に異を唱え、反乱分子として学校を追われた教職員は、生活の糧を失い、家庭にも大きな犠牲を強いてるといわれる。金融機関は貸し手責任を棚に挙げ、曹洞宗を訴えているが、多々良学園の破綻の陰には「物言われる」多くの犠牲者がいることを認識する必要がある。
  金融機関は所詮は「自分たちの私利私欲で多々良学園に群がったにすぎない。しかし生徒や教職員、その他学校関係者は真摯に学校運営に携わり、結果的に行政やスポーツ団体、金融機関、宗教法人という巨大組織の政策の失敗のあおりを受け人生を狂わされた訳であり、何ら責任はないといえる。まさに被害者である。
  今早急に取り組むべきこととは何か。それは正義の回復である。正義とは学校法人の破綻という前代未聞の不祥事の本当の原因について徹底的な捜査に着手し、責任の所在を明らかにすることである。つまり行政、警察、スポーツ団体、宗教法人などの団体に司直の手を入れ、タブーなき徹底捜査を進めるべきである。それこそが正義の回復であり、安倍首相の唱えている「美しい国、日本」のあるべき姿なのではないか。この正義の回復なくして、教育再生も経済再生、行財政改革も「絵に描いた餅」に過ぎない。一日も早い「正義の回復」を願う。

週刊新潮の「黒い報告書」の事件の舞台は山口市湯田温泉
 10月12号週刊新潮の連載企画「黒い報告書」は非常に興味深い記事だった。「黒い報告書」は実際にあった男女の痴情のもつれからの殺人事件を作家が多少に脚色を加え、小説風にした連載読み物だ。今回の報告書の舞台はズバリ山口市湯田温泉。ストーリーよると、大手新聞社P社の山口支局に赴任した女性記者がアルバイトで務めた湯田温泉のスナックで地元の妻子ある建設会社社員と知り合い、ねんごろになって、別れ話のもつれから、その建設会社の社員がスナックで女性記者を刺殺したというもの。別段よくある男女の不倫を巡る凄惨な結末である。
  問題はこの事件が報告書では今年7月に発生しているとしていながら、新聞には記事としては小さく「心中事件」と報じられてという点だ。この事件多分だれも知らない可能性が高い。要は、現職の大手新聞社の女性記者が禁止されていたであろうアルバイトをしていたこと、そして妻子ある男性は付き合い、最終的にはストーカーまがいの付きまといを受け、刺殺されたという点。これらの事実であろうことが、新聞には全く報じられていなかったということだ。
  この事件が新聞に大きく報じられなかったのは、新聞社が身内の関係者の事件を公にしたくなっかことと、警察にしてもマスコミ関係者の事件だっただけに、伏せる方向で処理したのではと勘ぐりたくなる。ただあくまで週刊新潮の連載読みであり、どこまで本当かは、新潮編集部に問い合わせしなくてはならない。真相はやぶの中だ。でも山口市湯田温泉と実名の地名を書いているだけに、何とも気になる小説ではある。

警察組織は階級なくし、管理ポストのみで仕事をする体制築け
 奈良県警の現職交通指導課長が三重県大台町の三瀬谷ダム近くの公園で首吊り自殺した。前の勤務地での逮捕件数水増しが発覚したことが原因とみられている。昔から数字にかかわる意図的な改ざんはよくみられることであり、詳細は不明ながら、何ともやりきれない出来事ではある。
  49歳で警視になるなど同期の中でも早く出世するなと、警察組織の中では優秀に警察官だったと思われる。警察組織は試験にパスすれば出世できる、ある意味民間企業とは違う特殊な世界である。階級社会であり、もっとハッキリ言えば社会主義の社会である。ここに民間企業とは決定的に違う「落とし穴」があるといえる。つまり試験で階級が上がっていく以上、階級が上だから、仕事が出来るということには必ずしもならいなということだ。まして階級は警察組織内の階級に過ぎず、一旦一般社会に入ってしまえば、警視でも普通の人間でしかない。階級イコール、人格者でもなければ、有識者でもない。階級はあくまで警察組織内で、指揮命令系統を維持し、組織の規律を保つための手段でしかない、と言っていまえば反論もあろう。
  ある警察関係者の話によると似たような話には何度も遭遇したことがあるという。ある警察官は高卒で県警に採用され県警刑事部長まで上りつめた。この人は個人的感情からある部下に対し「オレが県警にいる限り絶対昇任させない」とことあるごとに発言していたという。発言というよりは暴言である。昇任試験はペーパー試験の次に面接もあるため、仮にこのような上司がいたとすれば、絶対に昇進はない。恐ろしい話である。この元県警刑事部長は出世する過程で、ある種の人間性を喪失していったものとおもわれる。
  果たして今のように多くの階級が必要あるのかということだ。聞いた話ではカジュアル衣料量販店の「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングは柳井社長を含め役員は5〜6人程度しかいないという。この程度の役員で、あの巨大組織の企業活動を指揮している訳だ。つまり指揮官というポストはこの程度の人数で十分ということであろう。山口県警にしても、あれほどの階級が必要なのか。階級は今や手段というよりは、目的となり、階級のための階級になっている。公務員改革が叫ばれて久しいが、こと警察組織であれば、真っ先の階級を無くし、管理ポストのみを配置し、あとは全て兵士として現場で仕事をする体制を大きく組織転換すべきである。

カネボウ防府工場閉鎖で、山口県陸上界からカネボウの名前消える
 
カネボウ防府工場の閉鎖で、山口県陸上界からカネボウの名前がなくなった。このほど山口県チームからカネボウの人材がなくなったことで、今後山口県陸上界は低迷が避けられなくなった。カネボウは企業倒産で市場から撤退した訳だが、昨今大手企業ではスポーツクラブを閉鎖する動きが強まっている。広告塔として魅力がなくなり、費用対効果の面で、クラブスポーツを見直す動きが顕著になったということであろう。
  カネボウの問題はたかがマラソンかもしれない。しかしカネボウが防府にあったことで、低迷し続けていた山口県スポーツ界は一つの全国発信できる分野を持てていた訳だ。しかしこれで防府読売マラソンのかつての輝きはなくなる可能性が高まった。寂しい限りである。

靖国神社を世界の戦没者を祀る世界聖地に 
  安倍首相は中国を公式訪問し、中国の国家主席や首相と「戦略的関係」を強化していくことを確認するとともに、懸案の靖国問題については日本が適切に処理することで合意した。靖国を政治問題化せず、曖昧な形にとどめ置くことで、当面は不正常な日中関係を正常化することを優先する形となった。今回の日中首脳会談がとのような経緯で実現したかは、知る由もないが、少なくとも日中が正常な形で首脳同士が会談したことの意味は大きい。
  さて靖国参拝問題だが、この問題はそもそも政治問題としては決着すべき時にきたように思える。小泉首相は靖国参拝で中国をかなりけん制した。戦後の首相でこれほどハッキリと中国に喧嘩を売った首脳も珍しい。ただ結果的に小泉首相の頑なまでの靖国参拝で、中国も戦略を大転換し、今回の安倍首相との公式対談に至ったことは、ある意味良かったのかもしれない。
  しかし靖国問題は日本が何と強弁しようが、政治問題化していることは間違いない。靖国神社が小泉首相の言うように、平和を希求する場所であるなら、祀る人を選別するのは可笑しい。A級戦犯であった東條英機元首相を祀るのはおかしいという意見があり、中国や韓国の要望を受け入れ、A級戦犯分祀を主張する人々かいるが、本来は戦没者を選別する形にならないか。いや考えてみれば、西南戦争で亡くなった西郷隆盛などは賊軍として靖国には祀られていない。明治維新に至る国内での内戦でも、多くの人は祀られていない。
  まして第二次世界大戦は総力戦と言われ、軍人や後方支援の民間人関係なく、多くの人が亡くなった。先の対戦は戦争が軍人だけの戦いでなかったことは、原爆投下を見ても明らかだ。にもかかわらず、靖国神社には軍人しか祀られていない。沖縄には沖縄戦で亡くなった日米双方の軍人の名前が敵味方関係なく、石碑に刻まれ祀られてある。靖国神社も本来そうあるべきではないか。 
  軍人でかつ政府軍のみを祀るというのでは、政治的な神社と言われても仕方ないのではないか。米国では無名戦士の墓は軍人だけを祀っている。背景には戦没を慰霊する場所を持たないと、軍人を戦地に命令で赴かせるというシステムが機能しないという事情があるのだろう。日本も同様な面があるのかもしれないが、靖国神社には自衛官が祀られたという話は聞かない。靖国神社は戦後、軍人のみを祀る聖地から、今や「平和を希求する聖地」になっているという事実に思いをいたすべきだ。靖国神社を政治問題にせず、平和を希求する世界遺産的聖地にし、過去の戦争で亡くなった全世界の人々を祀る場所にすべきである。そうすれば、中国の韓国は勿論、世界中の要人が訪問できる場所になるのではないか。靖国神社を政治問題化し、8月15日が来るだびに騒ぐことを、戦没者は決して喜ばない。

高川学園の中高一貫校開設について雑感 
 旧多々良学園を買収した進学塾大手の潟^カガワが設立した山口高川学園が計画していた中高一貫校が認可され来春にも開設される。県内の私立高校で中高一貫校を開校するのは、県央部ではフロンティア大学付属高校や慶進高校、野田学園に次ぐ。
 高川学園が民事再生法を申請し事実上倒産した多々良学園を安い金額が買収し、旧経営陣の不正や宗教法人の曹洞宗の関与も明らかにしないまま、新しい学園を開校することには、旧多々良学園から不利益をこうむった間係者にとっては内心忸怩たるものがある。 
  高川学園が語っているように、県内有数の進学校にして2〜3年のうちに東大など難関大学への合格実績をつくりたいのなら、是非とも旧多々良学園の負の遺産を一掃し、本当の意味で生まれ変わってもらいたいと考える。
  少なくとも民事再生法で税金を投入され、まさに特売価格で施設を取得した訳である以上、少なくとも今後の学園運営では私学助成となどといった税金をもらわなくても運営が出来る学園を目指してもらいたい。それでこそ本当の意味での私学といえるのではないか。県内の教育レベルを上げ、進学校として飛躍しようと考えている以上、単なる商売ではなく、是非「人づくり」という教育を前面に出した運営を心がけてほしい。

安部晋三首相誕生、安部内閣発足
  安部晋三氏が首相に選出され、安部内閣がスタートした。山口県8人目の首相として、県内では喜びとともに、新首相への期待が高まっている。
これだけの速さで首相に駆け上がった国会議員は安部首相が初めてであり、異例の出世劇とも形容できる。
  ただ若干懸念されるのは、その選出過程であまりにメディアで一方的に騒がれ、自民党国会議員が雪崩を打って安部支持に傾いたあたりが、何ともいえない違和感を漂わせる。何でもそうだが、一方が有無を言わせない形で圧勝する形は議会制民主主義の観点から決して望ましいことではない。
  首相補佐官を大量登用し、官邸主導での政策実現を強調している。副大臣や政務官などを加えれば、新政権のスタッフは巨大な組織になる。
これだのスタッフで果たして実効性ある政策が実現できるのか。場合によっては指揮命令系統が混乱し、最終的には官僚主導の政策決定に逆戻りする可能性も否定できない。
  メディアでの内閣発足時の支持率が70%を越え、支持率では順調な船出となった。しかしやはりメディアでのイメージ先行は否めず、イメージ先行は逆にいえば、脆弱な支持基盤に支えられていることを示している。今後の政策遂行の行方が注目される。

多々良学園移転問題を巡る疑惑の放置は無法国家の証
 多々良学園校舎移転に絡んで発生し未だ問題としてくすぶり続けているものは数知れない。教職員不当解雇に始まり、生徒の無期停学、根拠の曖昧な医療請求、元教頭の不審死などどれもウヤムヤニされている。さらに行政や金融機関、高野連、日本私学共済と多々良学園との校舎移転を巡っての関係などもハッキリしていない。
  メディアでも既に厳しく指摘されているように、学校校舎の移転という大規模事業を曹洞宗という僧侶が中心になって進めたことが破綻の全ての原因である。集まるかどうかもハッキリしない寄付金を当てにして計画を策定し、集まらなかった民事再生法申請に踏み切るという一連の流れは原理原則が全くないというこだ。
  これらの多々良学園に絡む諸問題を全く追求せず、税金を投入し、校舎を民間企業に叩き売るというやりかたは法と正義を無視した法治国家の否定といえる。悪いことをしても、罰せられないという多々良学園を巡る今の状況は、日本の無法国家を如実に証明しているともいえる。
  昨今新興宗教を巡るトラブルが社会問題化している。少し前にはオウム真理教というカルト集団が白昼の東京の地下鉄でサリンを散布するというテロ行為を敢行したことは記憶に新しい。オウム真理教は我々国民に「宗教は恐ろしい」ということを認識させてくれた。あれから年月が経つが、我々日本人を含む人類は宗教絡みの諸問題に未だ翻弄されている。
  多々良学園の民事再生法や、それに関連する諸問題は単なる経済問題や社会問題に矮小化してはいけない。多々良学園を巡る問題は宗教問題であり、我々が宗教とは何かは根本的に考える機会と捉える必要がある。織田信長は比叡山を焼き討ちし、宗教の持つ「脅威」を認識し、冷徹に抹殺した。戦国時代と現在では時代が違うため、宗教組織に焼き討ちなどといった過激なことは出来ない。
  では宗教に対し我々は何ができるか。つまり宗教に対し我々はどう接したらいいのか。宗教を特別扱いしないことである。宗教もビジネスであり、宗教法人法という特別な法律をあてることもない。勿論、税制の優遇措置は即撤廃。お布施や賽銭、寄付など全てに課税すべきである。脱税すれば脱税で摘発しなくてはいけない。宗教を特別視しないことが、宗教を巡るトラブルの根絶につながる。

曹洞宗と元多々良学園理事、金融機関から訴えられる
  多々良学園高校(防府市)のキャンパス移転事業を巡り、当時の学園理事が返済不能になることを認識していながら、借入れを実施、学校法人の民事再生法申請で貸し金の大半が回収できくなったとして、融資した山口信用金庫(山口市)と防府信用金庫(防府市)が曹洞宗と当時の理事を相手どり、計約12億円の損害賠償を求める訴訟を山口地裁に起こした。訴状によると防府信金は03年3月に10億円、山口信金は04年9月に約7億円を多々良学園に融資、予定していた寄付金が集まらなかったため、資金繰りが悪化、民事再生法申請に至り、山口信金は約6億円、防府信金は約5億円が回収不能になったというものだ。
  原告である両信金は曹洞宗本部が理事を学園に送り込むなど、学園は曹洞宗が実質支配し、移転事業も曹洞宗の事業であり、理事は本部の監督下にあり、債務も曹洞宗本部が保証するなどとしていたとしている。
  今回の訴訟は借り手側の多々良学園の併返済計画の杜撰さが招いたことは当然のこととして、問題はその杜撰返済計画に基づいて金融機関が融資を実行したことも大きな原因といえる。確かに巨大宗教法人である曹洞宗の監督下にある学校法人の事業であり、普通に考えれば通常の金融機関であれば、焦げ付きの可能性が高い中小零細企業への融資よりは危険度の低い融資案件というる。しかし寄付金をあてにしての事業が果たして健全な事業といえるのか。仮に寄付金を資産として認め融資が可能なら、ほとんどの融資案件が実行可能案件となる。曹洞宗は全国に系列の寺や学校を擁しており、寄付金が集まる実効性は高いが、それにしても寄付金が返済計画の中心を占める事業は、今考えれば非常に危険な事業ととらえることができる。
  うがった見方かもしれないが、今回の訴訟を巡っては、信金の役員が自らの訴訟に発展しかねないことを見越し、責任回避を図るために起こしたのではと見る向きも一部にようだ。今後の行方が注目される。

 岐阜県庁の「裏金」事件がもたらす日本の法治国家の存亡の危機

 岐阜県の裏金問題は、昨今の行政の腐敗構造と国民を愚弄している組織の実態を余すことなく証明した。彼らは予算を取り、実際に使った金額との差額を裏金としてため込む形で蓄財していた。マスコミは単なる「裏金」として発表しているが、この裏金は自分たちが稼いだ収入から作った裏金ではなく、税金を横領したものであり、マスコミの「裏金」という報道は実態をぼかしている。ここにマスコミが所詮は官僚の手のひらで踊り、官僚寄りの報道をしていることを間接的に現している。
  今回の裏金は官僚が官僚統制国家の中で、国民の財産を収奪していることになる訳だ。国民は官僚が作った国民財産収奪システムである徴税という手法で、全ての管理しているといっても過言ではない。官僚の下請けである県も、税金を横領しておきながら、「裏金」という一般の民間企業がやっている「裏金」と同一視、犯罪ともいうべき横領を「裏金」という表現でごまかし、国民を欺いている。なにより元岐阜知が「裏金」のま存在を知っていたというのだから、開いた口がふさがらないとはこのことだ。知事自身が税金横領について罪の意識を持たず、長年の慣例として黙認していた訳だ。 
  この事実一つとっても日本が官僚統制社会であることを見事に証明しているではないか。多分この税金横領は岐阜県だけがやっていたものではなく、全国の都道府県庁で慣例として続いていた可能性が高い。この問題を岐阜県1県の問題に矮小化してはいけない。この際、全都道府県は全ての帳簿を披瀝し、国民の前に本当の決算書を好評すべきである。当然、税金の横領を見抜けなかったのか、あるいは共犯だった県議会議員は、即刻議員辞職するのは当然だ。繰り返すが、税金横領は犯罪である。民間人なら間違いなく、刑事告訴の対象になり、場合によっては監獄行きである。岐阜県庁を含め税金横領を長年続けてきた行政職員の犯罪を追求し、法の下で民間人と同じ刑事罰を与えなくてはいけない。
  警察にしても、ここまで横領を認めている岐阜県庁を横領事件として捜査しないのであれば、警察はその存在意義を失うことになるのではないか。これが許されるのであれば、暴力団の不正資金も追求できなくなるではないか。まして子どもたちの教育面にも悪い影響を与えかねない。正義がない社会では、悪がはびこる。警察の威信が問われている。 

 

夏の高校野球山口県大会での監督の敗因の弁について一言 
  夏の高校野球山口県大会は、南陽工業が多々良学園を大差で破り、28年ぶり2度目の全国大会出場を決めた。南陽工業の出場は順当な結果と言ってしまえば、それまでだが、試合後の多々良学園の監督のインタビューでのコメントが気になり、そのことについて論評したい。
  多々良学園の監督が敗因として「監督の差で負けた」との旨のコメントを述べたことが大手紙に載っていた。本人は「全責任は自分にある」という意味で語ったのであろうが、「監督の差で負けた」ことを公で認めたということになれば、生徒や父兄にとってはたまったものではないのではないか。つまり3年間も監督の指導のもとに練習を続けていたにもかかわらず、監督の差で負けたとなれば、3年間の練習は何だったのかということになる。「生徒は能力のない監督のもとで練習した」訳ではあるから最初から絶対に甲子園にいけなかったという結論に達するではないか。
  そもそも監督たるもの、内輪での発言ならいざしらず、公の場では絶対に自分の能力のなさを認めてはいけない。常識であろう。生徒は監督に全幅の信頼を置いてついてきたのであり、その信頼を裏切るともいえる上記の発言は、仮に本当であれば、「監督失格」と言わざるを得ない。このような指導者は生徒を教える資格はない。山口県にはこのような指導者が多く見受けられる傾向にあり、このような体質が県スポーツ競技力の低迷の背景にあるものと思われる。この体質を改革しない限り、先の国体強化も先行きが危ぶまれる。
  指導者は生徒にとっては信頼する全てであり、仮に自分に技量がなくても、生徒が信頼を寄せついてくる以上、指導者の差で負けたとはいうことは決して口にしてはいけない。この監督が上記のような発言をして深層には、「自分が全てで、自分の力で優勝するという驕りがあり、そのには生徒はことは全くない」という本心が透けてみえる。本来指導者は生徒の捨石であり、土台であり、自分を踏み台にして成長していく過程に喜びを見出すべきであり、その積み重ねが勝利という結果につながっているという姿勢をもっておくべきであろう。これが本来の指導者の姿であろう。
 

山口県公安委員長再任に思う
 元検事で弁護士の某氏が県公安委員長に再任された。公安委員や公安委員長はどのような基準で選ばれ、どのような職務をなのか多くの県民は知らないであろうし、関心も低いと思われる。今回再任された弁護士は法曹界では有能な人として評価が高い一方で、色々に噂も飛び交っているという両面をお持ちの方である。以前に選挙絡みで名前が浮上したこともあり、県警との繋がりはかなり強固といわれている。公平・中立を本分とする公安委員長であり、選ばれた人がそのような方であれば県民も納得するであろう。再任された公安委員長の今後の仕事ぶりを注目したい。

昭和天皇のA級戦犯合祀での靖国参拝自粛発言の波紋
 さあ大変なことが起きてしまった。昭和天皇が生前宮内庁長官に自身が靖国神社の参拝をやめた理由として、「松岡洋祐などA級戦犯を合祀したこと」を上げていたことが明らかになったことだ。靖国問題は日本の保守と革新勢力との間で戦後論争の中心になっていたが、その間、我々はこういった情報を何ら知らされることなく、延々と議論し続けていた訳であり、いったいこれまでの議論は何だったのか、今回の昭和天皇は発言は靖国問題にある種の決着をつける決定的情報となっと同時、何とも言えぬ「虚無感」を招く要因ともなった。
  何ゆえの虚無感か。つまり我々日本人は官僚統制国家にあって、何の本当の情報を知らされていないという厳然ため事実である。仮にこの昭和天皇の発言がもう少し早く出ていたら、靖国問題はもっと早く決着し、戦後の論壇の不毛な議論は早くに終結していたはずだ。
  それにしても「無知」というのは恐ろしい。恥を覚悟で言えば小生は松岡洋祐が靖国に奉ってあるとは全く知らなかった。松岡は米国との決定的な決裂を招いた日独伊三国同盟締結の中心的人物である。三国同盟こそ米国が中国からの撤退と合わせハルノートて執拗に求めていた要求事項だ。この三国同盟こそ日米戦争の決定的要因である。松岡には三国同盟締結で米国をけん制し開戦を阻止したいという隠れた思いもあったという説もあるが、結果的に日米開戦を不可避とし、日本国民に塗炭の苦しみを与えた「政治家としての結果責任」は免れない。
  にもかかわらず日本は戦後、全ての戦犯と同じく、松岡も殉難者として靖国に合祀したわけである。日本人は死んだ人に対し生前の罪を清め流すという民族古来の習慣がある。しかしこの民族的習慣は時に無責任体質を助長し、全員責任でことを有耶無耶にする危険性も内在する。靖国神社の問題は「心の問題」かもしれないが、同時に日本人の「無節操」さをごまかす方便にもなりうる。靖国問題は戦没者に哀悼も意を表するという大切に部分があると同時に、日本人の戦後の曖昧さをそろそろ払拭することを課題として内包しているともいえる重要な問題である。

徳山大学柔道部の暴力事件は氷山の一角」
 徳山大学で元柔道部員の木村亮容疑者(21)が深夜学生寮の自分の部屋に後輩部員を呼び出し、約2時間に渡り頭や顔を平手や棒で殴り2週間の怪我を負わせたとして山口県警周南署に傷害容疑で逮捕された。木村容疑者は昨年の中四国学生選手権で81k級で優勝しているほか、徳山大学も団体で中四国大会で上位入賞の強豪であり、国体の強化選手も多数在籍している県内柔道界の名門である。おまけに吉岡部長は中四国学生柔道連盟理事長の要職にもあり、今回の不祥事は同大柔道部に大きな汚点を残したといえる。
  確かに大学の運動部にはこの手の指導と称する暴力事件がつき物という通説がある。首都圏の私学では死亡事件が起きたこともある。しかし人権意識が高まり、昔のような教育的指導としての暴力は許されなくなった。武道とは言え、精神論を強調するあまり、指摘制裁を加えることは、教育に名を借りた暴力以外の何者でもない。厳しい訓練で定評もある米国海兵隊の新兵教育では指導教官は怒る際も、両手を後ろに組み決して手を上げない。訓練での心理学や科学的手法を導入した体制を確立している所以である。
  今回の不祥事につしても山口県柔道界は改善策など今後指導を強化するものと思われる。しかし県柔道界も内部の様々な組織的問題を抱えており、この手の暴力事件を防ぐ手立てを確立できるのか、はなはだ心もとないといえる。県柔道連盟は官僚的組織体質を改め、早急に指導体制を改革する必要がある。でなければ今回の徳山大学で表面化した暴力事件が再発するのは避けられない。実際の話、今回たまたま表面化しただけで、水面下ではこの手の事案はいたるところで起きているといわれている。山口県の柔道界の猛省を促したい。でなければ山口県の柔道界は地区ブロック大会のみの常勝校に成り下がり、全国大会では一切通用しない現在のレベルから脱し得ないのではないか。
  ところで新聞報道では木村容疑者は元柔道部員になっている。何ゆえ元部員なのかはなはだおかしな話である。多分暴力事件が発覚したことから、急遽退部、退学させ、あたかも大学や柔道部とは関係ないような印象を与えようという魂胆ではないのか。このあたりの姑息の手段を採るあたりが、柔道部の体質を示しているように思われる。うがった見方かもしれないが、ある意味では木村容疑者も自分の人生を奪われた被害者ともいえる。大学や柔道部に人生を奪われたといってはいい過ぎか。本来指導者とは自分の部員は弟子であり、最後まで面倒をみるのが本来であろう。自分の立場や地位を守るために弟子を切り捨てたとしたら、指導者としての資格はないと断じることができる。この指導者はすぐに柔道界から去るべきだ。
 徳山大学柔道部関係者によると、過去にも不正転校や不正入学があったいう情報を本誌は入手している。詳細は次回続編で。

 「北朝鮮のミサイル危機回避の最善策は日米の合併」
 北朝鮮のミサイル発射を機に、国連安保理で北朝鮮に対する経済制裁を軸にした安保理決議案が提出され、可決にけ日米が大詰めの調整を進めている。安保理決議に慎重に中ロ韓と決議案提出国の日米とのスタンスは開く一方だ。いまの現状は日米の対等合併を歓迎する兵士としては望ましい動きといえる。
  ただ解せないのは、やはり今一歩、米国の本音が見えない所だ。確かに米国は今回の北朝鮮によるミサイル発射に対し、すばやく反応し、日本に対する情報提供など最初から日本側と行動をともにしてくれた。今回はミサイル発射とはいえ、全て海に落ちだだけで、日本に実害はなかった。しかし仮に日本本土にミサイル発射が迫った場合、米国は所謂「同盟国である日本への攻撃は米国への攻撃」として反撃してくれるのだろうか。うがった見方かもしれないが、北朝鮮のミサイル発射にかこつけて、日本に対し高価な武器を売ることを画策しているのではないか、とどうしても考えてしまのうは弊紙だけか。
  話は変るが、日銀は近く「ゼロ金利解除」を機に金利を上げることを検討しているという噂が立っている。だが現在の日米の経済関係は、日本が常に低金利政策を採り、米国に日本の余剰資金が流れるようになっていることを明確にすることが大切だ。米国は自国の貿易赤字を日本からの資金還流で補填することで、世界の覇権国家の地位を維持している。日本も巨額も財政赤字を抱えている現状では、大幅な利上げに踏み切ることは不可能といえる。日米は利害関係が完全に一致している。
  日米はお互いの足りない部分を補って補完することで、世界における経済大国を維持している訳だ。であれば、日米はすぐにでも対等合併に踏み出すべきだ。国家の「M&A」での新国家設立であり。日米が対等合併、もしくは米国への吸収でも結構だが、日米による新国家建設で日米の貿易不均衡は完全に消滅する。通貨もドルと円が両国で流通しあえばいい。北朝鮮のミサイル発射で日本は危急存亡の危機が眼前にあることに我々は気がついた。日本が現在に危機を回避する最も最善の方策は、日米の合併しかない。

「宗教」はサービス産業
 「宗教とは何か」と聞かれれば多くの人は尊い教えを布教する特殊に組織と考える。そのために国は「宗教法人法」を作り、税制の面で通常の企業に比べ優遇措置を与えている。しかし果たしてそうか。「オウム真理教」などは東京都から正式に宗教法人として認可されていた。しかしやったことは大量破壊兵器ともいえる毒ガスによる大量殺人と組織内の信者殺害という戦後日本の犯罪至上特筆すべき犯罪であり、今考えれば単なる犯罪集団に過ぎなかった。しかしこれは宗教法人とは全く別の組織だったということではなく、宗教法人だったが故の暴走だったということを再認識する必要がある。つまり本来宗教法人とはそのような要素を持った組織だということだ。
  宗教法人の暴走わ防ぐ簡単に方法がある。宗教を特別視するのではなく、単なるサービス業として捉えね全ての優遇措置を撤廃するだけでいい。普通の会社同様、法人税や固定資産税などを徴収し、商法を厳格に適用すればいい。勿論脱税すれば摘発し、犯罪を犯せば司法当局の裁きを受ければいいのである。だいだい宗教法人法なる法律で保護されること自体、成熟してない証拠てある。未成熟産業に限って法律で保護されているのが通例である。その意味では宗教も未成熟産業の代表格といえる。
  冷静になって考える必要がある。宗教は単なるサービス業である。仏教は葬式セレモニーを提供するサービス業である。葬式では誰もお念仏なと聞いていない。キリスト教は結婚式の興行団体に過ぎない。牧師や司祭といった司会者が決まりきった文句をカップルに説いて、2人の門出を祝っているに過ぎない。新興宗教はサービス産業又は情報産業、出版業といっていい。「成長の家」は開祖等の著書を基本に、数々の解説本を出版し、信者が買っているという仕組みだ。この仕組みは「幸福の科学」や「創価学会」もほとんど同じだ。開祖等の教えを基にありとあらゆる解説本や刊行物を出版し、それを信者が購入するというもの。普通の出版社と違い、営業マンを有給で雇う必要はなく、営業は無報酬の熱烈信者が自腹で買うばかりか、他人にも布教を名目に売り裁いてくれる。人件費が必要ない出版業であり、利益率は高い。新興宗教は教えという情報を何度も焼き直し、信者に売り続けている訳だ。
  しかし宗教組織のこれまでの営業戦略もそろそろ壁にぶち当たっている。何故か。今時の若者は、ありとあらゆる情報を浴びせ続けられているため、宗教という特殊の情報だけに関心を持ち続けることができなくなっており、次から次への降り注がれる情報に日々関心を移し、飽きっぽくなっている。結果的に昔のように一つの宗教の情報にばかり付き合う暇がなくなっている。加えて少子化。聞くところでは日本でも新興宗教の信者数も頭打ちという。サービス産業は市場あっての産業あり、宗教もその例外ではない。
 

巨悪な組織「宗教法人曹洞宗」、多々良学園民事再生法認可
 不正のあげく民事再生法という法律を使い、責任逃れをしようとする集団。これこそ最近週刊誌や報道を賑わしている「曹洞宗」なる宗教法人である。このような組織が学校法人や宗教法人として日本社会に存在し続けてきた訳である。曹洞宗の開祖「道元膳師」の教えとはかけ離れた現在の曹洞宗は一度解体し、出直した方が開祖も喜ばれるであろう。全国の檀家はそのことを知っているのだろうか。
  もちろん中には素晴らしい僧侶の多くいることは否定はない。しかし社会の悪影響を及ぼし、個人の人生を奪った曹洞宗は説教する資格はない。人間としてまっとうな生き方の出来ない人に仏の悟りを語ることはできない。
  何故腐敗した組織になったのか。その構図は日本社会のありように酷使していると思われる。多々良学園の倒産に代表される曹洞宗の一連の問題は形を変えた「オウム真理教事件」ともいえる。一日も早く曹洞宗系の学校関連施設に捜査のメスを入れ、その腐敗した内部の真相を明らかにできないものか。

  「日本と米国はM&Aで国家の対等合併を」
  在日米軍再編や郵政民営化問題で「日本は米国の属国か」とい問題提起が各方面から出ている。日本は独立国ではないのではないかという素朴な疑問が保守系代議士からも度々でてくる。しかし今更をそれを嘆くこと事態にナンセンスと思われる。日本は第二次世界大戦で米国に完敗し、植民地化は免れたものの、事実上米国から占領憲法を押し付けられ、戦後はあらゆる意味で米国の庇護の下で生きてきた訳でである。
  国防も全てアメリカに任せ、まさに経済のみに専念してきた。米国に守られ、豊かさを実現した訳である。つまり米国の1州として平和を謳歌してきた。自民党の派閥競争で勝ち上がり、首相に就任した日本州知事は参勤交代のごとく、米国大統領に就任挨拶にいくのは半ば慣例化していたではないか。これはまさしく日本が戦後、米国の属国として生きてきた証拠である。今更日本が米国に言いなりと嘆くこと自体がナンセンスであろう。
  小生は「米国に属国化」大歓迎である。いやもっと進んで日本と米国はM&Aで国家同士合併すべきと考えている。米国はいまや金融と農業だけの国であり、今後日本の製造業の力を取り込まなくては世界の覇権国家としてその地位を維持できない。米国一極支配を危惧する向きもあるが、ローマの平和ではないが、1国が世界を制覇している時代は平和を維持できるという歴史の教訓を忘れてはいけない。
  日本が米国と合併し、「日本州」になることでどんなメリットがあるか冷静に考える必要がある。まず世界のリーダーである米国大統領を選出する間接的な選挙権を持てる。もちろん米国を通じて国連の常任理事国になれる。更に言えば、ろくでもない代議士や無能な地方議員が必要なくなる。日本州議会議員だけで済むではないか。勿論多すぎる都道府県知事も全てなくせる。
  更に言えば、高校生は日本の低レベルの大学ではなく、米国のハーバードやエール、プリンストンといった世界的一流大学に留学ではなく、国内大学として入学できる道が開かれる。決して悪い話ではない。当然官僚養成校の東京大学は日本州の州立大学に落ちぶれること必至である。
日本と米国の合併は日米が足りないところを補完しながら、世界の覇権国家として生き残るための最も有望な路線である。日米一体論を前提とすれば、米軍基地問題などは問題でなくなる。日米が一体化すれば、自衛隊は日本州兵になるだけだ。勿論、天皇の日本州の名誉伯爵として残ってもらっていっこうにかまわない。天皇はさしずめ米国日本州の名誉顧問にご就任頂きたい。

 

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