本間忠良の「技術と競争」ワークショップはhttp://www17.ocn.ne.jp/~tadhomma/へ転居しました。これからもよろしく

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論文とエッセイ(日本語) Theses and Essays (in Japanese)

仮想マガジン「インターネット評論」試作号(日本語)INTERNET REVIEW (Trial Issue) (in Japanese)

情報革命についてのエッセイとゴシップ(日本語) Essays and News on Information Revolution (in Japanese)

Theses and Essays (in English)

 

デジタルコンテンツと競争政策

   −−ポップ・カルチャーと著作権のマイクロ・マネジメント(講演原稿)

                                                                                                                                 20061125

                                                                                             明治大学法科大学院寄附講座

                                                                                                                                               本間忠良

目次  

はじめに

1.ポップ・カルチャーの爆発

2.犯行予防−−ロボットによる価格差別――DRM批判

2.1.家電DRM

2.2.リージョンコード

2.3.ロボットによる流通支配

2.4.ケース・スタディ――音楽配信

3.犯人探し−−管理の時代とポピュリズム――ハード認証批判

3.1.ネットテレビとIPマルチキャスト

3.2.プライバシーの権利

3.3one-machine-one-software license

4.日本のデジタルコンテンツ産業振興のために

4.1.著作権の賢いマネジメント

4.2.送信可能化権

4.3.競争

おわりに

 

 

はじめに

 

私はこのJASRACの寄付講座で話すのは2回目で、去年は「映像コンテンツと競争法」というテーマでした。そのときは、公正取引委員会の「デジタルコンテンツ研究会報告書」にしたがって、映像コンテンツ・ビジネスに対する独占禁止法の適用の可能性を説明しました。私は法科大学院の教員なので、法律論もできるということを示すため、実定法ガチガチの、学生さん向きの話でした。それはそれでまちがったことは言っていないので、お暇な折でも、私のホームページhttp://www17.ocn.ne.jp/~tadhomma/ContentsComp.htmでみてください。しかし、それから1年、いろいろなことが起こりました。

 

とくに、これから私たちが直面するであろう情報化社会のいろいろな問題に対して、現行の著作権法や独占禁止法ではどうにもならないという状況があることがはっきりしてきました。このことが今年のシリーズの主催者にもわかっていて、それで今回のテーマが「デジタルコンテンツと競争政策」と間口が広がったなと思っています。

 

そこで、今回は、実定法のガチガチはやめて、政策論の原点にたちかえって、もっとビジネス的に考えようと思います。そのため、「ポップ・カルチャーと著作権のマイクロ・マネジメント」というややラディカルなサブタイトルをつけて、議論を挑発しようとしています。

 

とはいってもイデオロギーはお断りです。私が与えられたこのテーマは、一方では著作権を神聖不可侵とするイデオロギーと、他方では表現の自由を振りかざすイデオロギーとが四つに組んで、動きが取れなくなっています。私は、そうではなくて、このテーマを、どうやって日本のデジタルコンテンツ産業を、世界市場のなかで、米国やフランスに負けないレベルにまでティクオフさせるかという、ビジネス的な−−ということは、競争政策的な−−課題だと理解しています。だから、今日の話のあて先(アドレッシー)は産業政策の担当者です。

 

先に結論を言ってしまうのですが、デジタルコンテンツ産業を盛んにするためには、その前に、日本のポップ・カルチャーを育てなければなりません。デジタルコンテンツ産業といっても、実態はデジタルコンテンツ商品の流通業です。デジタルコンテンツ商品の製造は、無数のポップ・アーティスト−−集合的にポップ・カルチャ−−―がやっているのです。しかるに、私のみるところ、いま日本の政府や業界団体は、流通業である既成メディアの目先の利益を追求するマイクロ・マネジメントに陥り、製造業であるポップ・カルチャーの成長の芽をひとつひとつ摘んでいるという二律背反をやっています。

 

とくに心配なのが、いま、デジタルコンテンツ商品の流通がロボットの手に握られつつあることです。不正競争防止法でいう「技術的制限手段」とか、著作権法でいう「技術的保護手段」とか−−私はもうすこし広く、認証システムまで含めていますが−−が、いまや、設計者の意図を越えて怪物化しつつあり、ロボットによるマイクロ・マネジメントが、デジタルコンテンツ産業の生産基盤であるポップ・カルチャーを窒息させようとしているように、私の目には見えます[i]

 

人手ではとてもできないマイクロ・マネジメントが、ロボットでならできるのです。ロボットは、一般的には、人間生活を豊かにするすばらしい技術なのですが、それを使う人間の卑小な心が、滑稽というしかないマイクロ・マネジメントを現出させています[ii]。ロボットが、人間生活を豊かにするために使われないで、人間を管理する道具として、どんどん進化しているのです。

 

酒酔い運転を予防するために、ドライバーの息を検知して、アルコールが一定レベルを超えたらエンジンがかからなくなるようにする。工作機械がテロ国家へ輸出されるのを予防するために、機械にチップを装着して、移動したら機械が動かないようにする。子供にアダルトサイトを見せないよう、フィルターソフトをインストールする。YouTubeの著作権侵害ブログを自動的に削除する。まさにフィリップ K. ディックのマイノリティ・リポートです。目的はいいのですが、その手段がなんとも非人間的です。

 

ロボットの使用をやめろとはいいません。それでは私的規制に代えて、公的規制を持ち込むことになるからです。この状況で、私の提案は、せめて、ロボット同士を競争させ、アーティストと消費者にとって最適の均衡を作り出すことです。

 

「マイクロ・マネジメント」という言葉は悪口です。むかし私が勤めいていた会社は大部屋でした。大きな部屋の中でたくさんの人が働いているのですが、大部屋の中には太い柱が何本もあって、全体を見ることはできません。人事課長さんが、これでは管理ができないと言って、すべての柱の上の方に道路用の反射ミラーを取り付け、自席から大部屋全体が見えるようにしました。働いている人の方からいうと、目を上げたら、ミラーの中の人事課長さんのギョロメと目が合ってしまうわけです。こういうやりかたをマイクロ・マネジメントといいますが、いまでは、これが従業員を萎縮させてしまうので、間違ったマネジメント手法だといういうことが定説になっています。

 

1.ポップ・カルチャーの爆発

 

2005年からサービスを始めて、いま爆発的に成長している有名なYouTubeというサイトがあります。日本でもあまりに有名になってしまったので、いまさらという感じですが・・。ユーザーが動画を自由に投稿/視聴/共有できる動画投稿サイトですが、日本では著作権侵害の温床だと非難されています。

 

日本にも同種のサービスがありますが、著作権を侵害する動画の事前チェックに人手を使っていて、たいへんなコストアップになっているようです[iii]。日本では「はじめに管理ありき」なのですね。これでは大きくなれません。これはネットワーク外部性がもろにはたらく分野なので、スタートの遅れは致命的です。

 

YouTubeにブログされている動画をみていると、テレビ番組のコピーなどくだらないものもあって、まだまだと思うのですが、なかにはこんな拾い物もあります。まあ聴いてください。http://www.youtube.com/watch?v=L70zDHBjt4c 「ママ、いま大きな町で一人ぼっちなの。寒くなってきたわ。ここの人たちはみんな違うの。とても怖いわ。言わなかった? 私がきれいだって。世界が手に入るって。ほしいものは何でも持っているって。でもいまほしいものはママがもう一度そう言ってくれることよ」。・・・ハリウッド・ブールバード線の路面電車の音が聞こえるでしょう。

 

これはTerra Naomiという人のブログです[iv]。彼女は、いわゆるインディーズ系のシンガソングライターで、フォークソングを自作自演します。ふだんは、いまのようにバーやカフェなどで、自分のギターやピアノ伴奏で、ひとりで歌っています。現代の吟遊詩人ですね。今年の夏は、いつもの地方巡業をやめて、Virtual Summer Tourと称して、自分のアパートで録音録画して、十数曲ブログしました。みんなにも歌ってもらうために、ギターのコードを教えてくれています。新作を友人とシェア(Share Video−−動画のp2p無料交換)してくださいと呼びかけたりして、YouTubeをフルに利用しています。CCマークはついていませんが、LessigのいうCreative Commons[v]のこころですね。

 

米国では、中学校の生徒にビデオカメラを配って、なんでもいいから15分ビデオを作ってくるようにという夏休み宿題を出しました。これは珍しくないのですが、台本や絵コンテ禁止というところが面白い実験でした。つまり、人間がこの何千年か使ってきた文字という制約から解放されて、直接映像で表現するチャレンジなのですね。いいのがたくさんできているそうです。

 

The Blair Witch Projectのような一見リアルなホラーなんかができるかもしれませんね。もっとも、これは、素人の作品に見せかけた周到な演出だったのですが・・。YouTubeの名物だったLonelyGirl15もそうだったようです[vi]。でもそれが悪いとは思いません。もともと仮想世界なのですから・・。もっと創作が出てきてもいいと思います。YouTubeも、いまはテレビ番組のコピーなどくだらないものがあるかもしれませんが、これからポップ・カルチャーのゆりかごになると思います。

 

デジタルコンテンツ産業といっても、まだどこの国でも、エスタブリッシュされたものはありません。いずれはこれが巨大な産業になるという見通しのもとに、各国とも、新旧メディアが入り乱れて先陣争いをしているところです。ただ、そのなかでも、インターネットによるコンテンツ流通に関しては、米国が圧倒的なエネルギーを見せています。Napster2年で6,000万人の会員を集めました。これが違法化されると、この6,000万人は、第2世代ファイル・シェアリングのGrokster/Morpheus/KazaAに流れました。これも違法化されそうな状況[vii]で、この一部が、私も含めて、iTMSi-Tunes Music Store)に流れ、その中のビデオ派がYouTubeを離陸させています。

 

米国でのこのポピュリスト・エネルギーの爆発にくらべて、日本では、ファイルローグもwinnyも、離陸する前に撃墜されています。音楽のインターネット配信も米国勢のiTMSに圧倒されています。どうしてこうなるのかいつも考えてしまうのですが、結局、日本のコンテンツ産業が、マイクロ・マネジメントで自滅しているという見方に落ち着きます。

 

インターネットでは米国が数年先行しているのですが、米国では市場の爆発があってから規制が追いかけてくるのに対して、数年遅れの日本では、官僚や業界団体が、米国のまねをして、先に規制をかけるという行動が定着しています。こういうのを嬰児殺し(infanticide)といいます。ファイルローグなど会員4万人でとどめを刺されました。米国は6千万人ですよ。これは、日本としては、喜ぶべきことなのでしょうか、悲しむべきことなのでしょうか。日本では、市場が立ち上がる前に規制が先まわりして、市場爆発に至らないのです。余裕のない国なのですね。

 

規制といってもいろいろあって、ポルノ規制や名誉毀損規制もありますが、ここでは触れません。ここでは、私が「犯行予防」と「犯人探し」と名づけた[viii]ふたつの法現象をとりあげました。

 

2.犯行予防−−ロボットによる価格差別

 

まず、私が「犯行予防−−ロボットによる価格差別」と名づけたテーマから考えます。ここでのメイン・テーマはDRM批判です。

 

2.1.家電DRM

 

DRMDigital Rights Management)に関して気がつくのは、家電メーカーとパソコン・メーカーの気質の違いです。私は、ここでいうDRMを広い意味にとって、デジタルコンテンツの暗号復号方式や、プリンターのロックアウト・チップや、さらにはICタグまで含めて考えています。

 

古い話になりますが、家電メーカーが、コストアップにもかかわらず、また法的義務ではない[ix]にもかかわらず、オーディオ再生装置にSCMSSerial Copy Management System)チップを組み込んで、CDのコピー世代数を制限していることはよくご存知でしょう。

 

家電メーカーは、以前から、ハードを売りたいという刹那的な願望のために、コンテンツ流通業者の刹那的なわがままの言うなりになっていました。SCMSでいうと、結局、こんなことをしても、というよりおそらくこんなことをしたからこそ、DATはもとよりMDだって大きな市場にならなかったじゃありませんか。SCMSでカーオーディオ用のコピーができないから、もう1枚同じCDを買うと思いますか。いや、車で音楽を聴かなくなるだけですよね。いまのデジタルテレビのコピーワンスなども同じです。

 

いま音楽ファンがインターネット配信のほうにどんどん流れて、オーディオ機器もネット音楽の再生機に変貌しつつある中で、レコード店が生き延びようと思ったら、CDの価値を高め、価格を安くしなければなりません。だからSCMSも再販制もやめる潮時なのではありませんか。もっとも、こういう規制は、公的なものにせよ私的なものにせよ、いちどできると、それが分泌する超過利潤に寄生する強固な利権ができてしまうので、みんなで共倒れになるまで絶対やめられないのですね。

 

DRM全体についていえることですが、コンテンツへのアクセスを制限することが、なぜ著作者の利益になるのでしょうかね。著作権全体が、アクセスを拒否すれば、ユーザーはいくらでも高い身代金を払ってくれるという誤った経済学にもとづいているのです。コンテンツなど生きるための必需品ではありませんから、アクセスを拒否すれば、消費者は、ああそうかと思ってほかへいってしまいます。どんどんアクセスさせて、そのかわりお金をとったらいいじゃありませんか。これが私のいうビジネス的観点です。

 

ちょっと話がわき道にそれますが、著作権法附則14条の廃止でCDがかけられなくなった喫茶店が、みんなJASRACと契約しましたか。いや、CDをかけなくなっただけですよね。日本が静かになったといって喜んでいる文化人がいましたよ。附則4条の2の廃止で、江戸時代以来あった貸本屋を違法化しましたが、これで新本の売上げが増えましたか。やることがぜんぶ逆効果になっています。著作権保護が自己目的化して、著作権保護のための著作権保護になっているのです。

 

2.2.リージョンコード

 

話をDRMに戻しましょう。DVDのリージョンコードもそうです。今のハリウッドが、収入の半分以上をDVDに頼っており、劇場ロードショウの時差システムなど神話になってしまっているのに、いまだにリージョンコードをやっていて、せっかく価格競争段階に入ったDVDが世界商品になるのを妨げています。異なるリージョンで再生できる作品の品揃えが圧倒的に少ないのです。

 

いま外国語がわかる人が世界中にどんどん増えているのに、言葉の壁をわざと作っているのです。吹き替え業者を保護しているのでしょうか。もっとも、プレーヤーも中国製(基幹部品は日本製)のリージョンフリー機がネットでいくらでも買えるし、米国製ソフトもリージョンフリーのものがあって、もともといいかげんな流通規制だったのです。

 

それなのに、家電メーカーであるソニー・松下のBlu-rayがいまだにこんなものにとらわれていて、こんどは米日韓を同一コードにする(名誉米人扱いになった)といって喜んでいるようですが[x]、それではこんどはフランス映画が見られなくなるので、まったくの改悪です。東芝・日電のHD-DVDがいまのところリージョンコードを無視しているのはさすがパソコン・メーカーですが、でもいつまでがんばれるかな?

 

次世代DVDの技術標準はなにも無理して統一しなくてもいい。規格不統一による消費者の不便は、競争メリットがこれを補っておつりがきます。ビデオ・テープ時代、ベータマックスとVHSが並存していましたが、それでほんとうに不便でしたか? この競争に敗れたソニーは、小型録画の技術をカムコーダーに生かしました。競争は、消費者だけでなくメーカーの利益にもなるのです。

 

ソニー・コンピューター・エンターテインメント(SCE)のPS3Blu-rayを使うのですが、発売がだいぶ遅れました(200611月発売)。その原因の一部がDRMだという噂が当時ありました[xi]。もしハード認証や本人認証などやって、ソフトの個人間貸し借りや、中古ソフトの売買を禁止することなど考えていたのだったら、法律的よりもビジネス的に破滅的なリスクを冒すことになりましたね。ソニーさんともあろうものが、そんなことはしなくてよかったと思います。

 

2.3.ロボットによる流通支配

 

デジタルコンテンツを財産権として擬制するための手段として、さまざまなDRMが用いられています。ここで私が皆さんのご注意をうながしたい問題点は、最近のDRMが、コピー防止マシーンをはるかに超えて、流通支配マシーンの性格をあらわにし始めていることです。配信した音楽の保持時間、メールや外部媒体への転送の回数、MP3(後述)への変換の可否、視聴可能地域(後述)、年齢、性別、流通経路などなど、機械的にまたはサブスクリプション情報にもとづいて、こまかく分割できます。ロボットによる流通の分割支配−−マイクロ・マネジメントが可能になっているのです。

 

なぜ供給者が流通を分割支配したいのかについては、経済学のおさらいが必要ですね。モノポリストが独占利潤を最大化するための究極の手段が価格差別です。つまり、金持ちには高く、貧乏人には安く売る、これが価格差別です。価格差別が完全であれば、モノポリストの利潤が最大になります。

 

ただ、このためには、貧乏人から金持ちへの横流しを防ぐための流通支配が必要です。横流し禁止や中古売買禁止ですね。流通を支配して価格を差別し、利潤を最大化すること、これがモノポリストの理想です。ただ、横流しや中古品売買は、自由経済の中ではきわめて自然な取引きなので、これを妨げるためには大きなコストがかかります。従来はこのコストのために、大規模な価格差別が抑止されていたのですが、いまはロボットの発達のおかげで気軽にやれるようになりました。ただ、残念ながら、不当な価格差別は独占禁止法違反です。

 

独占禁止法21条は、「この法律の規定は、著作権法・・・による権利の行使と認められる行為にはこれを適用しない」と言っています。コンテンツ関係者のなかには、これがあるから、著作権と名がつけば何をやっても許されると勘違いしていらっしゃる方がおられるようです。ただこの条文の言い方がすこし妙でしょう。「権利の行使」ではなくて、「権利の行使と認められる行為」と言っているのです。つまり、外見上著作権の行使と見られるような行為であっても、それが文化の発展に寄与するという著作権保護制度の趣旨を逸脱し、または制度の目的に反すると認められる場合には、その行為は「権利の行使と認められる行為」とは評価されず、独占禁止法が適用されるのです[xii]

 

著作権をどこまで分割利用許諾できるか、いいかえれば著作権の行使と認められるライセンシングでどこまで消費者を差別できるかという問題は、著作権法の教科書の中で扱われていますが、著作権法の内側でしか考られていないようです。

 

@著作権は支分権のバンドルだから、支分権別に分割できるのは当然でしょうね。A著作権が専有権(許諾権)だということから、ライセンス拒絶も当然だといわれていますが、しかし、ある人には許諾して、ある人には拒絶する−−差別的ライセンス拒絶−−には、正当化理由が要りそうですね。Bまた、ライセンス拒絶やライセンス差別を市場独占の道具として使えば私的独占で、C共同のライセンス拒絶はカルテルです。このへんは、有体商品でもそうだから、無体商品であるデジタルコンテンツでは当然そうだということで、ご理解いただけると思います。D著作権の保護期間が有限だということから、時間を限って利用許諾することも当然だといわれていますが、だからといって、ひどく短いのや利用回数を限定するのはどうでしょうか[xiii]。E著作権法の属地性から、国別に利用許諾するのも合法だといわれていますが、しかし、この理由からは、国内の地域や客層を分割してもいいという結論は出てきません。

 

著作権の本質から直接出てくる以外の分割利用は著作権の行使とはいえないので、独占禁止法21条の適用除外を受けられず、独占禁止法がもろに適用されます。民放連の会長さんが、テレビ番組のネット配信は地域限定が条件だ−−つまりテレビと同じ地域割りにしろ−−と新聞で言っていました[xiv]が、ぜんぜんダメですね。周波数割り当てという正当化理由がないのに、インターネットの視聴可能地域をDRMで制限することは、これを単独でやったら「私的独占」だし、テレビ局間の話し合いでやったら「カルテル」です。

 

DRMは、デジタル形式のあらゆる情報に適用され、(1) 著作物ではない事実情報や (2) 著作権の保護期間が満了した作品などパブリック・ドメインに属する情報までコンテンツ流通業者が囲いこんでいるばかりでなく、(3) 著作権法30条以下に規定する家庭内使用や教育用使用などの公正利用権まで技術的に取り上げています。だからDigital Rights Managementというのは褒めすぎで、Digital Information Managementが実体です。この点からも、無断コピー禁止目的以外のDRMは、独占禁止法21条の適用除外を受けず、独占禁止法がもろに適用されます。

 

ある情報がパブリック・ドメインかどうか、その利用が公正利用かどうかなどの判断は裁判官でさえ悩むのに、それをDRMという原始的なロボットにやらせているのです。原始的だからこそ、すべて流通業者にとっての安全サイド−−つまり否定的なほう−−に落として、グレーな領域までクロとして止めてしまっています[xv]

 

DRMは本質的には性能抑圧システムなので、全メーカーが採用しない限り維持は不可能です。そのためには法律(たとえばSCMSなら米国家庭内録音法Audio Home Recording Act[xvi])による強制−−de jure standard−−が必要ですが、これを業界内や業界間の合意で、またはMicrosoftのような独占的供給者の市場力を利用して−−de facto standardで−−やっています。これらはそれぞれ「カルテル」と「私的独占」の疑いがあります。本講演のテーマからは外れますが、憲法211項の「表現の自由」に接触する可能性もあります。

 

2.4.ケース・スタディ――音楽配信

 

ここではケース・スタディとして、すでに動き出している音楽コンテンツのネット配信で、なにが起こっているかを観察しましょう。ここで鍵を握る技術がCodecDRMです。

 

コンテンツのネット配信で必要なものにCodecというプログラムがあります。Codeccompression-decompression (coding-decoding) programの略で、コンテンツをまず配信側で圧縮し、ユーザー側でこれを伸張するプログラムのことです。とうぜん送信側と受信側で一対になっていて、異なる圧縮方式間、Codec間で競争が起こります。

 

一般にはCodecDRMと再生ソフトが一体となって供給されています。

 

供給者

Microsoft

Apple

Real Networks

ソニー

オープン・ソース

Codec

WMA

AAC

AAC

ATRAC3

MP3

DRM

DRM10

Fair Play

Helix

Open MG

なし

供給形態

オープン

クローズド

オープン

クローズド

オープン

 

圧縮方式のなかで一番広く使われているのは、Codecがオープン・ソースのMP3で、個人間の送受信やNapsterKazaAwinnyなどの無料音楽交換サービスもこれです。ただし、これはオープン・ソースなのでDRMが使えません。

 

有料配信では、現在、AppleiTMSが大躍進中ですが、AppleCodecはクローズドなので、Apple互換かもしれないReal(係争中)を除くと、ほかの事業者はすべてWindowsにバンドルされているWMAWindows Media Audio)です。

 

ネットワーク外部性――シェアが大きくなると、そのこと自体がシェアをさらに押し上げていく現象――から考えると、OSやブラウザーのときと同じく、WindowsにバンドルされているWMAがいずれ市場を制圧しそうですが、ここでは事情が違います。MP3という圧倒的な先住民がいるからです。つまり、ネット音楽市場では、大量の無料商品と競争しなければならないので、有料商品の価格が、品質(音質と使いやすさ)による付加価値分だけをプレミアムとする均衡価格にまで下落します。このことを産業組織論ではコンテスタビリティと言っています。

 

このような競争状態に不満なコンテンツ流通業者としては、なんとか邪魔なMP3を抹殺したいのでしょうが、簡単にはいきません。世界に類のない送信可能化権を創設しても、特定少数のグループ(たとえばメッセンジャーやMySpace)内でのp2pは止められません[xvii]。たいていの人は複数のグループに属しているので、音楽はグループからグループへ拡散していきます。圧縮率ではMP31/11よりWMA1/20のほうがいいのですが、ブロードバンド化やメモリーの大容量化により、圧縮率はあまりメリットではなくなっています。

 

いまやはり爆発的に成長しているSNSSocial Networking Service)のMySpaceが、この冬からオンライン・ミュージック・ストアを始めるそうです[xviii]。アーティストが指値できる点で、iTMSとちがいます。フォーマットはオープン・ソースのMP3なので、メジャー(大手レコード会社)は入ってこないでしょうね。だからインディーズ系の有力な流通パイプになるでしょうね。さっきのTerra NaomiMySpaceを持っています。

 

メジャーが一人か二人のスターを作り上げて、大宣伝で何百万枚も売る重いビジネスの世界とは別の、多様なポップ・アート[xix]の世界がMP3のおかげで現出しています。インディーズ系インターネット配信のMagnaTuneCodecを選べます。もちろんMP3も選べます。値段もオープンです[xx]。どうやらあたらしいビジネス・モデルが形を現してきましたね。

 

さっき「MySpaceMP3なのでメジャーは入ってこないでしょうね」といいましたが、ちょっと考えると必ずしもそうではありませんね。CDのヒットなどは半年しか続かないので、あとのいわゆる「ロングテイル」段階では、MP3に流せば、けっこういいお金になるかもしれない、ためしてみようと考えるのが、外の世界の常識−−私のいうビジネス的観点です。ただ、このときの指値を、MP3は再送信されやすいからその分高くするという、いつもの発想ではだめですよ。Terra Naomiは、きっとバーでもらうギャラの金額をベースに指値してくると思います。

 

ところで「ロングテイル」のことはもちろんご存知ですよね。一般のコンテンツ商品は、ほんの一握りのベストセラーが、売上げのほとんどを稼ぎ出すというスーパースター・システムになっています。しかし、ネット書店のアマゾンの売上の半分は、ベストセラー以外の−−出版社がとっくに宣伝しなくなって、取次ぎが書店から引き上げてしまった−−本だそうです[xxi]。日本のコンテンツ流通業の経営者は、長年の再販制のもとで、ビジネスマンの感覚が麻痺して、アマチュア著作権法学者になってしまったと、私は思っています。

 

いま音楽コンテンツにおける最大の法的問題はp2pですが、これの基盤がMP3です。ここではproprietaryつまり財産的保護を受けるインターフェイスと、オープンソースのインターフェイスが競争しているわけです。競争当局は、この競争がフェアに行われるよう監視しています。Microsoftが、OSに依存しないプログラム言語Javaを改悪して、互換性を失わせようとしたことがありましたね。

 

3.犯人探し−−管理の時代とポピュリズム

 

つぎに、私が「犯人探し−−管理の時代とポピュリズム」と名づけたテーマに移ります。ここでのメイン・テーマはハード認証批判です。

 

3.1.ネットテレビとIPマルチキャスト

 

「ネットテレビ(正式にはIPテレビ)」というのがあります[xxii]。いまのパソコンは、デジタルテレビ放送を受信することができます。これに対して、最近、家電メーカーが、テレビ受像機にパソコンもどきのサブシステムを組みこみ、リナックスをOSに使って、テレビも受かる、インターネットもある程度使えるというふしぎなシステムの規格統一などをやっています。

 

「パソコンでテレビ放送を受けるのとどうちがうの?」という疑問が当然出てきます。キーボードがないから老人でも使いやすいなどという笑わせるフィーチャーを別とすると、唯一ちがう点は、これがユーザーのテレビ端末を個別に識別できるハード認証(つまりハードの総背番号制)が可能で、著作権侵害者をつかまえられるという点です。

 

このシステムだと、11台のネットテレビで見た番組の履歴が認証センターのサーバーに常時記録されます。こんなものがパソコンにとって代わったら、著作権管理どころか、公私の権力によるすごい情報管制ができますね。パソコンとインターネットは、本来そんなことができないアーキテクチャーになっています。

 

「放映ずみのテレビ番組がなぜパソコンで見られないの?」というごく単純な疑問から始まった竹中研究会は、この質問に対する答えの代わりに「IPマルチキャスト」というものを提示しました。これは通信回線に光ファイバーを使っているというだけで、世界に開いたインターネットとは無縁な閉鎖系の有線放送です。コンテンツは地上波放送事業者に100%依存し、せいぜいいまのところいまのケーブルテレビと同じ地位しか与えられていません。インタラクティブといっても番組の中だけに閉じています。

 

ネットテレビもIPマルチキャストも、匿名性を特徴とするパソコンやインターネットとはまったく別の「管理の世界」を構築しようという試みですが、いずれも、憲法212項でその秘密が保証されている「通信」ではなくて、もともと規制の対象である「放送」だというのが、官僚の言い分でしょうね。

 

3.2.プライバシーの権利

 

実は、いまのパソコンやインターネットにも情報管制の波が押し寄せています。Intelが自社の製造するマイクロプロセッサに総背番号をつけようとして、ユーザーの大反対を受け、断念したことがあります。

 

MicrosoftWindows XPでやっているproduct activationというハード認証方式は、ユーザーのパソコンのコンフィグ状態をコード化した「ハードウエア・ハッシュ」という情報をメーカーに送信します。この情報はパソコンの指紋のようなものなので、ほかのサブスクリプション情報、たとえばPassportの情報とつきあわせることによって、末端のパソコンを同定できるといわれています。

 

AOLが、個人会員がAOLサーチで過去3か月間に使った多数のキーワードを総合して、6千万人の顧客の中からその個人AOL Searcher No. 44177246を突き止めるという実験に成功したという情報がリークされました[xxiii]

 

これらは孤立した例ではありません。今年はじめ、司法省が、幼児性愛者を割り出すため、検索各社に召喚状を出しました。Googleは裁判所に申し立ててこれを却下させましたが、召喚状に従順に従った会社もあるそうです。

 

ネット広告では、以前から、アクセスのあったパソコンに特定のcookiesを送信しておいて、次のアクセスでそれを返信させる−−ターゲット広告−−というシステムを使っていましたが、現在ではこのシステムが非常に高度化し、かつ情報の集積が進んでいるのに、ネット広告会社は、ユーザーの反発を恐れて、これの活用を自制していると聞きました。

 

以上のような事態を、米国のプライバシー・グループはたいへん憂慮して、禁止立法の働きかけをしていますが、私はいまここではイデオロギーとしてのプライバシー問題には触れません。私は、コンテンツ著作権の保護のためのDRMと国家による情報管制システムが、技術的には同じもので、いずれもポップ・カルチャーとは文化的な対極にあると言いたいのです。

 

いま司法省の話が出ましたが、国家権力は、どこでも、日本のような一見benignな(おとなしい)国家権力でさえも、情報管制には乗り気で、国にまかせておいたのでは、この傾向はどんどん進むでしょう。著作権と情報管制が野合しているのです。総務省の研究会が、インターネットの匿名性を問題視しています[xxiv]

 

パソコンもインターネットも、もともと自然発生的に成長してきた技術なので、その匿名性が生命線でした。「2ちゃんねる」もそうだし、KazaAに代表されるp2p音楽交換もそうです。このポピュリズム(人民主義)こそが、パソコンやインターネットの急成長の源泉だったのです。「だった」と過去形で言ったのは、このポピュリズムが著作権と情報管制の複合体によって窒息させられつつあるからです。

 

宇宙のビッグバンは真空のエネルギーによって起爆されたのですが、コンテンツ市場の爆発はポピュリズムの力で点火されている・・というのは歴史的な観察です。しかし、日本は、著作権と情報管制で、まるで逆の方向へ走っています。

 

私はイデオロギー問題に触れないと言いましたが、イデオロギーのほうがビジネスを取り込んできているという現象を無視できません。音楽無料交換システムのKazaAというドメインは、オーストラリア法人のLEFインタラクティヴで登録されていますが、このLEFというのはフランス革命のスローガン「liberté, egalité, fraternité自由・博愛・友愛」の頭文字です。やっている人たちの政治的背景がわかりますね。

 

音楽交換をやっている何千万人の若者は、あたらしいデジタルコンテンツ市場の中核です。彼らを無視してコンテンツ市場はありません。彼らを教育訓練して「著作権いい子ちゃん」にしてから市場をたちあげようというのは本末転倒です。著作権法の方が、あたらしい時代に対応して変わっていかなければならないのです。

 

3.3one-machine-one-software license

 

もとのビジネス的観点に戻しましょう。ビジネス的にいって、ふしぎでしかたがないことがあります。つまり、こんなハード認証をなんのためにやっているかということなのです。これの本心は、著作権保護などではなくて、ソフト供給業者が、いわゆるone-machine-one-software licenseをロボットで強行しているということに尽きると思います。著作権者による流通支配のもうひとつの形態です。

 

いまパソコンの普及が進んで、中古パソコンが大きな市場になってきているのに、中古OS市場は育っていません。10年前大勢のコンピューター青年を育てた自作パソコンも消えてしまいました。前の世代のOSは新品でも売っていません。

 

one-machine licenseというのは、ソフト供給業者の側から言えば、昔からやっているので、私がいまこんなことを言い出すと怒るでしょうね。ただ、これはいままではシュリンクラップ・ライセンスでやっていた――つまりユーザーの順法精神に訴えていたのが、これが信用できないということで――いまはDRMやハード認証というロボットにやらせるようになったという点に大きな違いが出てきています。私は、シュリンクラップは、けっこうみんな守っていたし、人間を信頼するシステムでよかったと思っています。

 

いまDRMやハード認証のおかげでone-machine licenseの問題点が顕在化してきた−−すきまのない管制(gapless control)が可能になった−−マイクロ・マネジメント化してきた−−のです。音楽CDを買って、特定の1台のコンポでしか聴けないとしたら、皆さんは怒るでしょう。これがプログラムだから許されるという根拠は、著作権ではありません。

 

たしかにソフト1枚買って会社みんなで使うという極端なケースは困ります。しかし、会社なら、シュリンクラップではなくて、ちゃんとした契約でグループ・ライセンスするというきめこまかな使い分けができるはずだし、実際そうしていますね。

 

ソフト供給業者が投資を回収するためには、なにもロボットによるone-machine licenseなどという無理な流通規制をやらなくても、販売後の流用分を見越して、最初の1本の売値をそのリスクのぶん高くしておけばいいのです。その1本が無限にコピーされるから、値段が無限大になるという人は数学を知らない人です。

 

それを単細胞のDRMやハード認証でやるから、犠牲になるのはパソコンを23台持っている家庭です。パソコンの家庭への普及が頭打ちになっています。ポップ・カルチャーの原動力は、会社ではなくて、個人です。こんなところにも、公正利用fair useが、日本のように限定列挙ではなく、米国のように一般条項が必要だという理由があります[xxv]。ただこれは言っても無駄でしょうね。

 

ここまですきまのないone-machine licenseは、エレベーター・メーカーが、最初の製品代を安くしておいて、あとの保守サービスで回収するという商法と同じで、独占禁止法違反の「抱き合わせ」に当たります。

 

ただ、私はなにもone-machine licenseをやめてしまえといっているわけではありません。one-machine licenseをみんなでやっている、しかもハード認証という国民のプライバシーの権利に直接かかわるような大仕掛けでやっていることが、競争感覚がないといっているのです。私は、one-machine licenseをも競争に巻き込んでしまえ・・と言っているのです。

 

各社のone-machine licenseをみると、メーカーの市場力が反映されていておもしろいですね。MicrosoftAdobeのような市場力の強いメーカーはactivationを本気でやっています。ただ、市場力の弱い中堅メーカーまでがone-machine licenseでやっているというのが、「one-machine license=著作権の遵守」という固定観念にとらわれているとしか思えないのです。one-machine licenseは著作権とは関係のない一商法にすぎないのです。

 

たとえば、日本のアンチウイルスでは、以前はSymantecMicroTrendMcAfeeの寡占でしたが、SourceNextが参入して競争的になってきました。各社とも文字通りのone-machine licenseではなくて、値段は少し高いのですが、2台ライセンス、3台ライセンス、永久ライセンスなど多様化してきました。3台ライセンスにするぐらいなら、ロボットをやめて、またシュリンクラップに戻してしまっても、ほとんど同じだと思いますよ。MicrosoftVistaがアンチウイルスをバンドルするらしいので、専門メーカーは戦々恐々としていますが、思い切った競争戦略が必要だと思います。

 

話が飛びますが、プリンター・インクやトナーの詰め替えでは、米国では、ロックアウト・チップやロックアウト・コードとして違法判決を受けているものが日本では健在です。一般の商品流通でも、ICタグを使えば、究極の流通支配ができますよ。日本の流通が、できの悪いロボットに支配されようとしています。

 

4.日本のデジタルコンテンツ産業振興のために

 

インターネットが持っている巨大なエネルギーが、ポップ・カルチャーを点火して、それが結果的にデジタルコンテンツ産業を押し上げていくというサイクルが米国では起こっているのに、日本では、公私にわたる著作権法のマイクロ・マネジメントが小賢しく先走って、このサイクルの芽を摘んでいくように、私の目には見えます。

 

4.1.著作権の賢いマネジメント

 

著作権法が、マイクロ・マネジメントの道具としてDRMとハード認証への依存を強め、そのDRMとハード認証が、逆に、著作権法の根源である表現の自由を侵食しつつあることを、私は述べてきました。私の批判は、DRMやハード認証が、ロボットを使った流通支配であり、それが「私的独占」や「カルテル」や「抱き合わせ」によって維持されているというものでした。

 

ただ、去年の講義と違って、私は、いまのDRMやハード認証を、いますぐ公正取引委員会が立件できるとか、そうすべきだとか言っているのではありません。私が言いたいのはそんなことではないのです。事業者の反競争的な行動は、自分自身をだめにします。日本のコンテンツ産業が飛躍できないでいるのは、自分自身の中にある反競争的な性格のせいだと言いたいのです。

 

デジタルコンテンツ産業が盛んになるためには、そのまえにポップ・カルチャーの花が開かなければなりません。米国では、インターネットはまさにポップ・カルチャーのゆりかごだったのです。日本が希望をつなぐゲームやアニメも、日本の産業保護政策の結果出てきたものではありません。若者の中から自然に萌え出してきた文化なのです。湾岸のビッグサイトでやっているコミックの展示即売会へ行ったことがありませんか。このエネルギーをより大きく育てるための産業政策はありがたいのですが、これが流通業である既成メディアのための保護政策になってしまっていて、逆効果になっているのが現状です。

 

こういうと、では海賊版の横行を許してもいいのかといういつもの非難が飛んできます。もともと、DRMは海賊版防止のために考案されたものなのです。私からの反論なのですが、だったら、DRMは海賊版防止に専念すべきであって、図に乗って流通支配や情報管制をやるなと言いたいのです。

 

ただ、海賊版防止の技術が、流通支配や情報管制の技術とかなり共通であることは認めます。米国の映画産業は、消費者の劇場離れと、海賊版の横行という2つのな問題を抱えて、あちら立てればこちらが立たずというコンフリクトで苦悩しています。一方コンテンツの消費者は、いまテレビや劇場から離れて、インターネットに傾斜しています。で、それが海賊版の温床になっている。ではどうしたいい? デジタルコンテンツの流通業者が「競争」というビジネス感覚を取り戻してくれることです。

 

AppleiTMSは有料ですが、これだけ爆発的に伸びています。私はかつて無料のNapsterを愛用していましたが、音質が悪いのや、卑猥な替え歌などがあって不愉快な思いをしたことがあります。いまはiTMSですが、まあまあの価格で、安心して聞いていられるので「一応」満足しています。「一応」といったのは、再生機がクローズドでi-Podlock-inされているし、音楽の価格がまだまだ高く横並びで、「カルテル」や「抱き合わせ」や「再販価格維持」がにおうからです[xxvi]

 

不満はありながらiTMSを使っているのは、Appleがコンピューター・メーカーの気質を失っていず、「Rip, Mix, Burn」と宣伝しているだけあって、ほかの日本の音楽配信に比べて圧倒的に使いやすいからです。ほかの日本の音楽配信のように、使用できるパソコンを1台に限定したり、CD焼きを1枚とか3枚とかに限定するマイクロ・マネジメントは、いったいどういうビジネス上の根拠があるのでしょうか−−競争上、自分自身を負け組のほうに追いやっているだけです。

 

前にもいいましたが、米国では音楽でも動画でも、インターネットによる流通が始まって、爆発し、海賊版の被害が顕著になってきてから、たいへんな議論の結果やっと立法し、海賊版を押さえ込みます。このあとに巨大な市場が残ります。これに対して、日本では、市場がぜんぜん立ち上がっていないのに、官僚や業界団体の「いい子ちゃん症候群」や「点数稼ぎ」というマイクロ・マネジメントのおかげで、規制だけが先走って、結局市場が立ち上がらず、既成メディア保護法制だけが残ります。

 

4.2.送信可能化権

 

送信可能化権がその典型です。これはもともとインターネットなど影も形もなかった1986年、テレテキストや通信カラオケなどを取り締まるために有線送信権という権利を創設したのですが、それをずるずる膨張させて、1997年、送信可能化権という、米国にもないオールマイティな権利を創設して既成メディアに与えました。WIPOの著作権・実演レコード両条約調印の半年後、批准の4年前という信じられない速さでした。なんのためにこんなものを作ったのかと思って教科書をみたら、無断複製の予防だと書いてありました[xxvii]。予防なら予防の分際を守ってくれればいいのに、いまでは著作権の主役になったつもりで、どんどん刑事告発をしています。

 

いま放送番組のインターネット配信が現実化してくると、送信可能化権はテレビ局にとっても桎梏(手かせ足かせ)になっているのですが、これができるように著作権法を改正すると条約違反になる[xxviii]という自縄自縛になっています。はじめから軽率な政策でした。著作権法の先生や官僚はそれを認めないでしょうがね・・。

 

米国は両条約の調印国ですが、さすがに、送信可能化権などという私権の創設を嫌って、ダウンロードしてCDに焼く行為を複製権侵害とし、利益目的だからという理由で公正利用抗弁を押さえ込んで、やっと音楽CDの無料交換p2pサイトを違法化しているという状態です。これでは、ストリーミングやブログへのアップロードには手が出ないでしょうね[xxix]。米国のこのスロー・ペースはわざとやっているというか、コモンローの知恵ではないかと思ってしまいます。このスロー・ペースを利用して、技術革命のエネルギーが別のフロンティアをみつける余裕を与えているのですね。

 

ついでにいうと、日本では、条約上の義務でもないのに、2002年、放送事業者にも送信可能化権を与えましたが、WIPOでこれを追認する新条約の交渉を進めており[xxx]、世界の潮流からますます離れようとしています。

 

サーバーを使わないいわゆる第2世代のp2pファイルシェアリングでは、プロバイダーはユーザーの情報が通過するだけの導管(conduit)にすぎないのですが、このプロバイダーに対してユーザーの氏名住所を開示させる法制も、日米で差が出はじめています。

 

200312月、通信大手ベライゾンのネットで1600曲の音楽をアップロードした人物の名前を開示するよう米国レコード産業協会(RIAA)が求めていた訴訟で、DC巡回裁は、デジタル・ミレニアム著作権法(DMCA)がp2pにおけるプロバイダー責任を想定していなどとして、ベライゾンを勝訴させました[xxxi]

 

日本では、レコード産業協会が、プロバイダー3社に対して、WinMXでヒット曲を送信可能化したユーザー19人の住所氏名を開示するよう求めた訴訟で、東京地裁が、プロバイダー責任法にもとづいて、開示を命ずる判決を言い渡しました[xxxii]。新聞によると、同様の判決が相次いでいるらしいのですが、プロバイダー側が判決がなければ開示しないという態度を貫いているのに対して、レコード協会や業界弁護士は、もっと簡易な手続で開示させるべきだと主張しているそうです。日米のマイクロ・マネジメント度の差が歴然としてきました。

 

YouTubeといえば、映画産業は動画投稿サイトにそれほど敵意をもっていないようで、LucasFilmなどは、Star WarsのパロディをYouTubeが削除してしまったのを、頼まれないのによけいなことをするなと言って復活させたそうです。ハリウッドの大手映画会社ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)が、動画投稿サイト第2位のGrouperを買収しました[xxxiii]。インターネット配信は、テレビ番組より映画のほうがはるかに先行していますね[xxxiv]。日本のテレビ産業は、このままでは、結局インターネット時代に取り残されると思います。

 

竹中研究会の課題「放映ずみのテレビ番組がなぜパソコンで見られないの?」については、私なりの答えを出しています。総務省のアンケート調査[xxxv]で、テレビ番組の二次利用の阻害要因としてテレビ関係者があげた理由に、第1位「権利処理ルールが未整備だから」に続いて、わずかの差で第2位「二次利用に値するようなソフトがないから」というのがありました。これは「テレビ番組がくだらないから」というたいへん率直な自己認識で、私はこれが本音だと思います。

 

くだらないテレビ番組の無断アップロードを罰するとばっちりで、ポップ・カルチャーの芽生えを摘み取ってはいけません。くだらない著作権侵害が100あっても、いい創作が1あれば、「文化の発展」のためにはいいではありませんか。Napsterにも、インディーズ系のいいアップロードがけっこうありましたよ。いまは全滅です。このへんは制度設計や判決の賢さが問われるところで、送信可能化権に触れたらただちに逮捕というマイクロ・マネジメントではなく、「文化の発展に寄与」という著作権法1条の目的にさかのぼって考えてもらいたいものです。ただこれも言っても無駄でしょうね。

 

Terra Naomiの例で見たように、インターネットが、草の根アーティストと消費者とを直結できる初めてのメディアだということを認識して、インターネットの自由かつ匿名の利用を推進することが、日本のデジタルコンテンツ産業振興のための最良の政策だと思うのです。ただこれも言っても無駄でしょうね。

 

私は、著作権法が、マイクロ・マネジメントから抜け出して、公正利用の一般条項を導入してくれたり、1条の目的解釈をしてくれたりする可能性−−いわば著作権法の自浄作用−−に対して、「言っても無駄でしょうね」と、悲観的なことばかり言い続けてきました。ではどうしたらいいのでしょうか。

 

4.3.競争

 

ただひとつ残ったわずかな希望が「競争」です。過剰なDRMは性能抑圧とコスト高で自滅します。DRMをなくしてしまうことは不可能でしょうから、せめて次善の策として、彼ら同士を競争させ、市場における自由な競争を通して、消費者の選択によって淘汰し、最適化していかなければなりません。

 

いまDRMは性能抑圧とコスト高だといいましたが、まさにその理由で、社会は、DRM技術標準を複数必要としています。技術標準同士を競争させなければなりません。前にも言いましたが、次世代DVDの技術標準は、ソニー・松下という家電メーカーのBlu-rayと、東芝・日電というパソコン・メーカーのHDDVDとに分裂しましたが、これは消費者にとってはグッド・ニュースです。というより、日本のコンピューター産業が持っていたエネルギーがまだいくらか残っていたのだなと思わせる現象です。

 

最近、フランス議会は、WIPO両条約に準拠した著作権法改正で、音楽や画像のファイル交換とDRM迂回を違法化したかわりに、再生システム間の互換性を確保するためDRM技術情報の公開を義務づけました[xxxvi]。フランスらしいラディカリズムですね。これで、いままでi-Podに閉じ込められていたiTMSがアンバンドルされて、競争が活発になるでしょうか。フランス議会は、iTMS/i-Podのバンドルを、音楽配信サービスとハードウエアの「抱き合わせ」だと判断したのです。これなら日本だってできるじゃありませんか[xxxvii]。知的財産権を口実とした相互接続(interoperability)拒否は日本でも「権利濫用」[xxxviii]です。最近、経済産業省が、「権利濫用」を具体化する「準則」を発表しました[xxxix]。一般条項のない日本の公正利用のマイクロ・マネジメントを緩和できる希望がいくらか出てきました。

 

DRMとの関連で最近のニュースに触れておく必要があると思います。200611月、Microsoftは、新発売の音楽端末Zuneについて、Universal Musicとの間で、配信音楽のライセンス料とは別に、Zune 1台あたり1ドルの課徴金を払う契約を結んだそうです。これは、1999年のRIAA Diamond Multimedia巡回裁判決[xl]で、デジタル端末は1992年のオーディオ家庭内録音法(AHRA)の対象でないとされたことを承知の上での契約ですから、私的なハード課徴金としては米国では始めてのケースです。ご承知のように、Appleはこれの支払をがんとして拒否しているのですが、メジャーとの配信契約更改で、この圧力が高まることはたしかです。

 

Microsoftのこの行動にはまだよくわからないところがありますが、米国では、これがメジャーのDRM離れを促進するという見方があります[xli]。つまり、課徴金というのは一種の報酬請求制度で、アクセスを制限するDRMとは論理的に矛盾するからです。いまi-Podに保存されている音楽の90%以上が、iTMSからダウンロードされた音楽ではなくて、CDからリップされたMP3だという事実が、Universalを報酬請求の方に踏み切らせたという仮説です。日本では私的録音録画補償金とSCMSが並存していて、だれもその矛盾に気がつかないのですから、上の仮説は楽観的にすぎるように思いますが、いずれにせよ、ネット音楽における競争が、DRMの存否にまで及んできたという評価はできるでしょう。

 

いま、まとめの段階でハード認証と本人認証のことを言いませんでしたが、これは、著作権だのone-machine licenseだのという矮小な問題と違って、デモクラシーの本質にかかわる問題なので、憲法に出てもらわなければなりません。これはイデオロギー問題なのでこれ以上深入りしません。

 

おわりに

 

最後に、前回言ったので今回はいままで言わなかったことなのですが、日本のコンテンツ産業は、大企業をトップにいただく、下請け、孫請け、曾孫請けの巨大なピラミッドにたとえられます[xlii]。ハリウッドやシリコンヴァレーでは、これがはるかにフラットで、一介のSEが書いたシステムが大当たりして一夜にして大富豪になったというような話がごろごろ転がっています。日本では、本当のクリエーターたちがピラミッドのいちばん底辺で希望のない日々を送っています。これでは日本でポップ・カルチャーの爆発は起きません。

 

政府が、コンテンツ産業振興政策として、既成メディアにつぎつぎとあたらしい独占権を与え、お金をつぎ込む政策は、そこで創出された超過利潤の争奪をめぐって、商社や銀行までが「権利ころがし」に参入して、コンテンツの価格を押し上げて、まるで逆効果になってます。産業の本当の資産は人です。業界保護ではなくて、ピラミッドの最底辺にいる本当のクリエーターたちに、直接補助金を出すような政策に転じていただきたいと思います。



 

[i] LAWRENCE LESSIG, CODE AND OTHER LAWS OF CYBERSPACE (Basic Books 1999)にいう「コード」より広い概念で考えている。

[ii] スナックの経営者(73歳)が、客にせがまれて、ビートルズの曲など33曲をハーモニカやピアノで弾いて、著作権法違反で警察に逮捕された(読売2006119日)。演奏権侵害には違いないが、カラオケと違って、この程度の実演では、著作権者に実害が発生するとは思えない(欧州の都市でよくみかける辻音楽師と同程度)。人間がDRM化しているのである。著作権法違反を非親告罪(告発を待たず自動的に刑事立件)にしようという内閣の知的財産推進計画なども同類である。

[iii] 日経200687日「動画投稿、撮ってみて」。YouTubeにまで、投稿の事前審査と投稿者の個人情報登録を要求するつもりらしい。日経2006930日「テレビ局など19団体、投稿動画「掲載前に審査を」、ユーチューブに要請検討」。悪名高いデジタル・ミレニアム著作権法(DMCA)も、権利者からの具体的な要求で侵害情報を削除することまでで、事前スクリーニングまでは要求していない(17 USCS 512(c)(3))。日本のいわゆるプロバイダー責任法も同様である。

[iv] http://www.youtube.com/profile_videos?user=terranaomi

[v] LAWRENCE LESSIG, FUTURE OF THE IDEAS, THE FATE OF THE COMMONS IN A CONNECTED WORLD (Random House 2001) 85ff.

[vi] The Lonelygirl That Really Wasn’t, THE NEW YORK TIMES, September 13, 2006.

[vii] MGM v. Grockster, 545 U.S. 913 (June 2005)/ MGM v. Grockster (StreamCast), 2006 U.S. Dist. LEXIS 73714 (D.C.Ca. 2006)KazaA2億ドル払って和解(20066-11月)。

[viii] (財)デジタルコンテンツ協会『コンテンツ保護技術とその法的評価』(20033月)の分類「コピー及びアクセスをコントロールする技術」、「コピー及びアクセスを抑止・追跡する技術」をそれぞれ直截に表現したもの。

[ix] 米国では法的義務である。Audio Home Recording Act (AHRA), 17 USCS 1002(a)SCMSを装着しないデジタルオーディオ機器を製造・輸入・販売してはならない(要約)」。ほかのDRM関連規則はすべて(WIPO著作権条約(WCT8/WIPO実演レコード条約(WPPT10条も含めて)、DRM回避行為を禁止しているだけで、DRM装着を義務づけてはいない。1989年のいわゆるアテネ合意は、特定の私企業間の合意にすぎず、むしろ技術カルテルの疑いがある。AHRA制定当時(1992年)、米国にはすでにオーディオ機器のメーカーがなく、AHRAが日本をターゲットとした「重商主義的立法」(WILLIAM M. LANDES & RICHARD A. POSNER, THE ECONOMIC STRUCTURE OF INTELLECTUAL PROPERTY LAW (The Belknap Press of Harvard University Press 2003) 410)だったことはたしかである。20055月、連邦巡回控訴裁によって無効判決を受けた連邦通信委員会(FCC)のデジタル・テレビ放送フラグ規則なども同様の発想である。

[x] 日経(夕)2006817日。

[xi] 日経2006315日。

[xii]「特許・ノウハウライセンス契約に関する独占禁止法上の指針」(公正取引委員会1999年)第2-2解釈。

[xiii] 送信可能化権では回数限定ができない−−著作権法635項。

[xiv] 日経2006716日「そこが知りたい」。

[xv] 2006121日早朝、首都圏JR各駅の非接触自動対札SUICAがメーカーのプログラム・ミスで止まった。トラブルのとき安全サイドに落とすデッドマン・スイッチは常識だが、乗客の通過を止めてしまうシステムは愚かな設計思想である。この場合の安全サイドとはフリーアクセスであった。

[xvi] 17 USC§1002(a).

[xvii] 著作権法219号の525項。

[xviii] MySpace Music Store Is New Challenge for Big Labels, THE NEW YORK TIMES, September 4, 2006.

[xix] 「ポップ・アート」といっても、PollockReinhardtのようなポストモダン派のことをいってない。「J-ポップ」というときの「ポップ」の意味である。

[xx] 日経2006102日「音楽ネット配信、著作権柔軟に。米マグナチューン日本上陸へ」。

[xxi] 梅田望夫「シリコンバレーからの手紙」『フォーサイト』(新潮社2005年)。

[xxii] 日経200683日。

[xxiii] A Face Is Exposed for AOL Searcher No. 4417749. THE NEW YORK TIMES, August 9, 2006.

[xxiv] 日経200696日「ネット技術−−匿名発信など問題視」。

[xxv] LANDES & POSNER, op cit. 46は、家庭内でのプログラム流用を禁止することは、買手にとってのプログラムの価値を下げる一方、そのぶん創作者の収入を増やさないので、創作者にとって損になることを分析している。

[xxvi] 日経2005325日「着うたで排除勧告、レコードなど5社」。日経20051224日「楽曲ネット配信、販売価格不当拘束か、NY州司法当局大手音楽会社を調査」、Music Firms, U.S. Hold Settlement Talks, FTC Inquiry into Prices Of Retail CDs, THE WALL STREET JOURNAL, December 16, 1999.

[xxvii] たとえば、文化庁著作権法令研究会『著作権法不正競争防止法改正解説』(有斐閣1999年)62頁。

[xxviii] 日経2006623日「ゆれる著作権保護」。

[xxix] WCT8/WPPT10条の義務(exclusive right of -- making available to the public)にもかかわらず、米国は、独立の送信可能化権を創設していない。uploadについては、映像は「公の実演権(right of public performance)」(17 USCS 106 (4))でテレビ放送と同じ扱い、音声は「デジタル音声送信による公の実演権」の対象となる(17 USCS 106 (6))。要するに、日本でいえば、送信可能化権を含まない公衆送信権である。downloadについては、譲渡権(distribution right)を適用しているが、譲渡権は法文上有体媒体(copies or phonorecords)が前提である(17 USCS 106 (3))。「公の実演権」を送信可能化権まで拡張解釈した最判はない。A&M Records v. Napster, 239 F.3d 1004 (9th Cir. 2001) as amended by 2001 U.S. Dist. LEXIS 2186MGM v. Grokster, 545 U.S. 913 (2005)も、upload単独によるユーザーの直接侵害行為を認定してない。

[xxx] 日経2006819日「テレビ・ラジオ放送番組海賊版ネット配信規制、WIPO新条約採択へ」。同2006914日「放送番組の無断ネット配信、規制条約を來夏採択」。

[xxxi] Recording Industry of America, Appellee v. Verizon Internet Services, Appellant, 351 F.3d 1229 (DC Cir. 2003).

[xxxii] 日経2006926日「発信者名開示を、東京地裁接続業者3社に命令」。

[xxxiii] 日経(夕)2006824日「米の映像投稿サイト買収」。

[xxxiv] 日経(夕)2006913日「映画ネット配信本格化、米アップルが参入、アマゾン・AOLも開始、日本でも成長市場に」。

[xxxv]「放送ソフトの振興に関する調査研究会報告書」(総務省1997年)。

[xxxvi] 日経200671日「仏、改正著作権(DADVSI)が成立」。

[xxxvii] 公正取引委員会一般指定10項。

[xxxviii] 民法13項。

[xxxix] 20061016日「ソフトウエアに係る知的財産権に関する準則について」(経済産業省商務情報政策局情報処理振興課)。

[xl] RIAA v. Diamond Multimedia, 180 F.3d 1072 (9th Cir. 1999).

[xli] www.drmwatch.com/drmtech/article.php/3642921.

[xlii] The Land That Time Forgot, THE ECONOMIST, June 30, 2001.