| 暗 唱 聖 句 (7句) 古いものから順に「暗唱聖句の部屋」に収納します。 |
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「心に満ちていることを口が話すのです。・・・あなた方が正しいとされるのは、あなたの言葉によるのであり、罪に定められるのも、あなたの言葉によるのです。」 新改訳聖書 マタイの福音書 12章34、37節 07/07/12
32節に「聖霊に逆らうことを言う者は誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと許されない」とある。「言う言葉」でその人の正体が分かるということか。/「木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の善し悪しはその実によって知られるからです。」12章33節。/木が良ければ実が良く、実が良ければ木が良い、逆もまた真ということか。 |
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「天におられる私の父の御心を行う者はだれでも、私の兄弟、姉妹、また母なのです。」
新改訳聖書 マタイの福音書 12章50節
「あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」と言われたイエスは、「私の母とは誰ですか。また、私の兄弟達とは誰ですか。」と答え、手を弟子達の方に差し伸べながら言った言葉。/解説は「キリストと信者達との霊的結びつきは、肉親のつながりよりも深い。神への従順は、家族への責任に優先する」とある。/血のつながりのない間柄なのに、親子兄弟よりも大切にするということは珍しくない。恋愛しかり、主義主張で結びついた者同志しかり。それを考えると、このイエスの言葉は別に特異なことではないようにも思われる。/ただ、同志と呼ばず、「兄弟、姉妹、また母」と呼ぶところに、家族的なつながりを示唆するものを感ずる。
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「多くの預言者や義人たちが、あなた方(イエスの弟子)の見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなた方の聞いていることを聞きたいと切に願ったのに聞けなかったのです。」 マタイの福音書 13章17節 07/08/01
この聖句の前後を含めて、「群衆」「イエスの弟子」「預言者・義人」が出てくる。イエスは群衆には例えで語り、弟子には奥義を語った。/そして弟子に言った。「あなた方の目は見ているから幸いです。また、あなた方の耳は聞いているから幸いです。」/預言者も義人も見ることができなかった。・・・ |
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「『預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。』 そして、イエスは、彼らの不信仰の故に、そこ(イエスの郷里)では多くの奇蹟をなさらなかった。」 マタイの福音書 13章57〜58節 07/08/04
預言者はその素性を知る身近な人々からは尊敬されない。素性を知らない、素顔をしらないからこそ、偉大に見える、偉大さに気づくということがいえるのかもしれない。/世間で才能を認められて、初めて内輪でも認められるということは珍しくないのではないだろうか。身近な人は、大したことがないと思っていることが多い。/奇蹟は信仰がないと起きない。 |
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「自分たちの言い伝え、先祖たちの言い伝え」と「神の戒め」。
「神は『あなたの父と母を敬え。』また『父や母を罵るものは、死刑に処せられる。』と言われたのです。それなのにあなた方(パリサイ人、律法学者)は『父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は供え物になりましたという者は、その物をもって父と母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなた方は、自分たちの言い伝えの為に、神の言葉を無にしてしまいました。」 マタイの福音書 15章4〜6節 07/09/02
パリサイ人や律法学者が、イエスの弟子がパンを食べるときに手を洗わないのを見て、「なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか」と尋ねたのに対して答えたイエスの言葉。先祖の言葉と神の戒めのどちらが大切かと問いかけている。/教会の中の様々な仕来り(習慣、決まり事)の多くは人が決めたこと。ただ、それも神の意思であると言い出すと、何もかも神の意思ということになってしまう。手を洗うことも神の意思になってしまう。しかしそれでは、ここでのイエスの言葉を否定することになるのではないだろうか。/親を捨ててイエスに従うことの意味。親に献げるべき物をイエスに献げることの意味など、いろいろ考えることが少なくない。 |
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「この民は、口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。彼らが私を拝んでも、無駄なことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」 マタイの福音書 15章8〜9節 07/09/22
聖書の言葉を読み上げるだけなら、人間の教えが入り込む余地は少ないかも知れない。しかし、それでは個々人が自分の解釈を持たなければならない。一方、具体例を挙げて、事細かに解釈すれば、解釈者の、つまり人間の考えが入り込み、神の言葉から離れるかも知れない。/組織が継続し、長い時間の中で培(つちか)われた伝統の中には、人間の教えが多数あるのではないかと思う。ただ、「それも神の御心」の1言で、人間の教えが神の教えであるかのように正当化されてしまうこともある。 |
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「口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」 マタイの福音書 15章11節 07/09/23
「あたなの弟子たちは、なぜ先祖たちの言い伝えを犯して、パンを食べるときに手を洗わないのですか」(15章2節)とパリサイ人や律法学者に問われてイエスが答えた言葉。確かに、手についた病原菌が体に入り罹患することはよくあること。しかし、この場では、イエスは、手を洗わずに食べても、食べ物は結局体の外に出てしまうから害はないと言われる。そして一方、「口から出るもの」は「心から出るもの」であり、悪い行いが悪い心から出てくるように、悪い言葉は悪い心から出てきて、人を汚すと言われる。言葉が人を汚すことの重大さを述べておられるのだと思う。
また、2、8、9節を受けているとすれば、「口から出るもの」とは「人間の教え」のことを意味しているのかも知れない。人は神の言葉によって清められ、人の言葉によって汚される。私達は神によって清められることを求めなければいけないことを知らされる。人間の言葉を鵜呑みにすると、気が付かないうちに汚れているかも知れない。 |
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