観察する時忘れがちでありませんか?
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観察視点の一つの方法 観る心と観られる心 (1)直接的観察 顔色が悪い、活気がない、下向き加減、窓の外ばかりを見ている等、いつもと違って感じるものを考えます。 (2)系統的観察 身体的・精神的・社会的観察で、生命維持する過程、生活習慣を獲得発展させる過程、社会的関係を維持させる過程と考えます。 ○生命を維持する過程 ↓ 呼吸、循環、体温調節など (食事、排泄、睡眠、着衣、清潔などの自立) ↓ 生命の危険は常に考えなければならない。 必ず、観る側の判断で、対応できるよう準備をしておくことが必要である。 <コメント> 観られる側の対象に年齢制限はない事を知ることは大切です。 人は常に一人ではなく、産まれ死に至るまで、常に健康体では居られないもの。 例えば、腰痛や頭痛も健康を害する一つのもの、慣れてしまいがちになり日常生活に問題がなければ「健康」として考えてしまうのが現状のように思います。 慢性化し、慣れてしまっての状況の中、痛みが体にどう影響するかを考えたとき、まず「不快感」となり、その不快感は気分を変えてしまいます。 精神は「心」に結びついていて、上記で述べた事柄からも些細な事からも健康を害しています。 また、心の健康に対しても障害と成りえる要因の一つと考えます。 ○生活習慣を獲得発展させる過程 ↓ あらゆる人間に共通する側面が非常に大きなもの ↓ どういう生活習慣を持っていたのかを知る事が大切です。 <コメント> 人間関係だけでなく、その人柄が見えて来るものです。 観る側となれば、まず相手を知らなければなりません。外見ばかりでは何も対応が出来ず、画一的なものと成りかねないものです。 それは相手に不満を与えるだけでなく、心の健康を害するものと成りえます。 人はそれぞれ、違った人生を歩いている事を忘れてはなりません。 勉強をした若年で色々な体験が少ない人は忘れがちで、相手をどう理解したら良いのかが解らないでしょう。 他の方にでも聞いてみるのも良いかと思います。 会話上手と言う人もいるかと思いますが「観よう」と言う気持ちがあるのなら、必ず出来るはずです。 考え方、心の動きによって会話は出来るのです。具体的な例としては好きな人と会話は出来るが、嫌いな人とは会話は出来ません。 コミュニケーションは受け入れです。 相手の良い点、好きに成れるものを一つ見つけ、好きに成れるよう努力する事も必要なことかもしれません。 ○社会的関係を維持させる過程 ↓ 成人してから完成される過程で個人差は大きいものです。 ↓ その人の意思を尊重しなければならないという事です。 どういう生き方をしたいのか、どういう仕事をして、どういう家庭を築きたいのかなどが問題の過程。 <コメント> その人がその人らしく生きて行く為の過程でもあります。 個人差が大きいものであるのに対し画一的な対応をしてしまうと、その人なりの生活を崩すどころか脅かす事にもなり、その人の生き方を否定する事にも成りかねないのです。 人それぞれ生き方が違う事は、忘れてはならないものの一つでしょう。 今、何をしたいのかを考えると話をしなければわからない事であると思いますが、行動の先に何をしようとしているのか、観察視点の一つです。 話をしなくても今何をしたいのかを感じ取れるようにしたいものです。 観る側と成れば、それなりの責任があり、対応一つで、その人なりの生活感を変えてしまい、生活そのものに不安不満が募り心理的にどのようになるものかを考えて行けると良いかもしれません。 観察視点は専門的知識や技術はいくらかは必要でしょう。 医療的行為におけるものであれば有資格者でなければなりません。 しかし観る側においては、有資格者、無資格者とは関係ないものかもしれません。 資格を持っている人の見る所は違うと言われたりしますが、それは体験からの学びがあるからです。 しかし資格を取り間もない人は、マニュアル通りでしか観る事が出来ないのがほとんどかと思います。 心で見る事は誰でも出来る事「しない」から「できない」と言うだけかもしれません。 大切なのは「心」その心で見る事が出来たら良いのではないかと思います。 |