鉄面皮(てつめんぴ)

区切り線

面皮というのは文字通り「つら(面)の皮」。
これが「厚い」とは、あつかましい、ずうずうしいという意味である。
んで、どのくらい厚いかというのであるが、「鉄」のように、というのが「鉄面皮」、「面の皮千枚張り」、という表現もある。
「厚顔」ともいう。

面の皮が厚い人間は、遠い昔からその存在が確認されており、現在にいたっても絶滅していないようだ。

紀元4世紀ごろ、進士の王光遠は、有力者に近づきになろうとしてせっせとあいさつ回りなどをし、たまに鞭で門前払いをくわされるような辱めをうけようとも、なおその家を訪ねあきらめようとはしなかった。それで当時の人々が言うには
「光遠の面の皮が厚いことといったら十枚重ねの鉄の甲のようだ」と。
----------------------------------
進士王光遠、権豪を干索して厭う無く、或いは撻辱に遭うも、略ぼ改め悔ゆる無し。時人云う「光遠、顔厚きこと十重の鉄甲の如し」と。

この話が「鉄面皮」という言葉の語源となったと言われているらしい。誰かを彷彿とさせますなあ。

んで、この厚い「面の皮を剥ぐ=面皮を剥ぐ」というのが、厚顔無恥な者を辱める、という意になる。

紀元3世紀、呉の最後の帝・孫皓は残忍なことで有名で、そのせいで人心を失い、孫権から続いた呉の国が滅びたといってもいい。彼がいなかったらおそらく「晋」に降ることなく、三国時代の次は堂々とした「呉」と「晋」の二国時代になっていたに違いない。
どのくらい残忍かというと、なんとこの帝、ほんとに字の通り、気に入らない者の面皮を剥いでしまったのである。しかもに日常茶飯事に!
後に、「なんで人の顔をはぐような残忍なことをしたのだ!」と聞かれて、「ふん。顔の皮が厚いのが憎らしかったからだ」と平然としていたそうな。
なんじゃこいつは(−−メ)

また、面皮は人に剥がされるだけでなく、自分で剥がすこともある。
この場合は、自分のふがいなさ、不明を責める、という意になる。

紀元前1世紀、前漢の末頃に算数(算術)の名人・曹元理という者がいた。
彼の友人・陳広漢が頼んで曰く、「おれのところに米倉が2つあるんだが、中にいれてある米の石数をわすれちゃったんだよ。悪いんだけど計ってくれないかね?」

すぐ元理は手元の箸(?)をもって倉の周りを計り、
「東の倉には749石と2升7合、西の倉には697石と8斗はいってる」といい、忘れないように倉の戸に大きく書き付けた。
しばらくしてから、広漢が米を出してみたところ、西の倉に入っていたのは697石7斗9升と、大きな鼠が1匹。
実はこの鼠ちょうど1升マス一杯の大きさで、全容量は元理の云った通りとまったく同じだった。
感心しきった広漢が、元理の家を訪ねた際このことを話すと、元理は得意がるどころか床を手で叩きこういった。
「なんたるこっちゃ! 鼠と米の見分けがつかなかったとは! この自惚れの自分のつらの皮を引ん剥いてやりたいわっ!」


算数得意でないわたしには、イヤミに聞こえるわけですが…
単位→10升で1斗、100升で1石。
時代によって多少量が変わるのだが、曹元理の前漢のころは1升が約340cc。後漢になると約200cc。
日本の1升(1800cc)とだいぶ量が違うので、たとえば「李白一斗詩百篇(李白は一斗の酒を飲む間に漢詩を百編作った)」なんて表現がでてきても、日本の感覚で「なに〜? 18リットル〜?! 石油缶1杯分かいっ! 中国人はなんてのんべーなんだ! そんなべろべろになって詩なんかつくれるのかい?」と驚いてはいけない。
・・・それでも李白の時代・唐の一升は約600ccだから、やっぱりのんべーはのんべーなんですがね…





 解説:鉄面皮
     行いがあつかましく、ずうずうしい人の例え

目次へ戻る