思い出話と温泉と見所

2006/2/16
層雲峡温泉の氷曝祭りを見に行きました。
数年前の あの感動は無くマンネリ化した氷の固まりだけの味気ないものになっていました。
主催者はどのように考えてどのように思っているのでしょう?
素晴らしい温泉と素晴らしいホテルが揃っているのに残念です。
これでは観光客は呼べません。 もっともっと工夫して欲しいです。
帰り道にラーメン日本一で町おこしにしている上川町でラーメンを食べました。
醤油味ラーメンの味はは可もなく不可もなく昔の味でしたが・・・・
店に入るとオーナー(主人)と思われる人が客席でテレビを観ていました
そして水を持ってきてオーダーを聞いていきましたが、またまた客席でテレビを見ているのです。
そして私の嫌いなたばこをふかしていました。
今、不況にあえいでいる地方が必死に町おこしとか地方の活性化などを考えているときに
町民自らが観光とは何か?、客商売とは何か?考えて欲しいと思った次第です。
2005/7/21
道の駅 羽幌の後ろにある羽幌バラ園です。
温泉もあり日帰り550円でした。天然温泉加温かけ流しです。
隣にある海鮮食堂で刺身定食1350円を食べました。
2005/6/28
羽幌のサンセットビーチの日没です。
2005/6/29
羽幌で釣りをし帰り道に苫前のふぁっととままえ温泉で入浴しました500円
浴室の浴槽が狭いのが残念、浴室も窮屈な感じで設計者の感覚が悪い印象です
外の風景の海と港と天売、焼尻の島が露天風呂でしか見えないのが残念
お湯は塩水で肌に善さそうな感じでした。ソフトクリームも美味です。
2005/6/6
仕事をしている畑から見た十勝岳連邦です。
2005/6/3
日の出とともに起床し日没とともに就寝する。 理想の生活パターンです。
朝7時からの収穫作業は十勝岳連邦の山懐でウグイスやカッコウのさえずりで始まり
日中はヒバリの鳴き声を聞きながらの崇高な気分に浸れる毎日です。
自然の恵みに感謝しながら今日一日の心豊かな営みに想いを馳せてお休みなさい。
2005/5/30
27日から美瑛の丘 パッチワークの畑でアスパラガスの収穫のお手伝いをしています。

2005/5/26
2005/5/23
日曜日に故郷の名寄に行ってきました。 兄 姉も年老いてだいぶん弱っていました。
駅周辺の町並みも寂れていて、ひときは物悲しさを感じました。

2005/5/19
寒い日が続いています。 家の近くでこぶしの花を見つけました。


2005/5/13
初夏の陽気に誘われて旭山動物園に行ってきました。
桜はあと少し 来週の中頃が良いと思います。 全国的に有名に成った動物園です。
これからも工夫をこらして人の集まる施設にして欲しいと思います。

2005/5/2
ひさしぶりに旭川の近辺をドライブしました。
永山新川の白鳥はすでに北国へ旅立ち十数羽しかいませんでした。
数百羽の鴨が居ましたが、えさをやる人が多く川の中にパンくずが溢れてました。
男山自然公園は今が花盛りで、カタクリ、エゾエンゴサク、福寿草等々が咲き乱れてました。
おみやげに紅こうじで作った 紅いお酒を買ってきました。
2005/4/26
今日のテレビで小樽の新名所が出来たと報じていました。
私が初めて小樽を訪れたのは1962年19才の時です。 今では有名な小樽運河もそのころは
幅も広く道路は狭く昔ながらの面影を残してノスタルジーをそそる雰囲気でした。
勿論、観光客の姿もなくお土産店等もありませんでした。
そんな中 外国航路の大きな船を見るのは山育ちの私にとっては驚きと感激の経験でした。
(海とか船とか船員とかは映画の中で観たロマンチックな印象しかありませんでしたから)
2005/4/28
高校卒業して2年目給料も安く生活もいっぱいいっぱいでした。 そんな時知り合ったのが
1才年上の札幌出身の女性でした。 二人で初めて遠出したのが小樽の海岸です。
海水浴には少し早い季節はずれの6月の日曜日、彼女が作ったサンドイッチと水筒のお茶
チョコレートとガム それだけです。貧乏な私には汽車賃とバス代が精一杯の出費でした。
オタモイ海岸 古代文字を観て遠い昔の時代に思いを馳せて二人の夢に浸ったものです。
いま思うと本当に若さと言うのは素晴らしいです。 何も無くても充分に幸せでしたから。
いつものデイトコースは北大のポプラ並木か植物園か、一杯30円のコーヒーがある喫茶店
で2時間もねばることでした。
2005/01/29
僕の誕生日のお祝いに娘が十勝川温泉に招待してくれました。
第一ホテル 豊州亭の個室露天風呂付きのお部屋でした。
十勝川には白鳥とカモが餌付けされていてみごとなものでした。
途中で南富良野町幾寅で有名なカレー屋さんで食事をしたのですが、
旅行ガイド誌やテレビは本当にあてにならないと実感しました。
ちなみに料金は1000円と900円でした。

2005/01/29
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お天気も良くてドライブに出ました。東神楽の花神楽で温泉に入り露天風呂で
汗を流し、昼食は20食限定の古代米定食を頂きました。
お値段892円 なかなかいい味でした。
2005/02/28
2月は何処にも出かけませんでした。
そのかわりではないですが映画を2本みました。その感想はいずれどこかで
”アレキサンダー” ”トロイ”
あの肉体美は素晴らしい!!!! 男の憧れです。
2005/3/22
今月も今のところ出かける予定無し。
小説の話 ”報復”原作ジリアン・ホフマン 精神科医が精神を病んでいる話
最近では日本でも現実に珍しくない残酷なレイプ殺人事件、朝の7時まで一気
に読みました。 渡辺淳一の ”リラ冷えの街”も読み返しました。
2005/3/26
新刊書で ”罪の香り”田中雅美作 500円読みました。
内容はご都合主義の内容ですが、女性が書くエロチシズムは男性作者とは少し
違って感じられます。豊田行二原作 ”一夜妻”男性が書く憧れのヒーロー。
とは感性が違います。 男と女の性の違いがつくづく感じられます。
2005/3/27
所用があって増毛に行ってきました。
今年初めて見る海は白波が立って荒々しく冬の海を感じさせてくれました。
2005/4/1
2日係って少し古い小説西村寿行の”妖しの花乱れにぞ”を読みました。
面白いけれど、心に得るものは何にも無い。もしかしたら無駄な時間を過ごしたかも。
2005/4/5
桜前線が関東まで来ましたね。20代の頃本州に出稼ぎに行って、日光の東照宮で見た桜の花、
宮城県の涌谷城祉の3000本桜、岩手県の中尊寺の桜並木など思い出されます。
その頃に行った先々のほろ苦い恋の思い出などフラッシュバックで昨日のように目に浮かびます。
少しずつ思い出すままに書いてみようかな。
2005/4/11
1963年 北島三郎がデビュウして「なみだ船」が流行していた時期です。
映画は石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」とか小林旭の「流れ者シリーズ」の全盛期でした。
私が20歳の時、その年の10月に初めて仕事で出稼ぎに行ったのが宮城県石巻市です。
その頃の石巻は遠洋漁業の基地であったし、その近辺から外国航路の船員を多数輩出していました。
外国航路は1航海だいたい10ヶ月で甲板員で100〜120万円以上の収入があったようです。
ちなみに私の月収2,5000円(昭和40年公務員の初任給高卒で15,000円くらい)です
高度成長期の始まりで集団就職で都会に出て行く少年や若者が大勢いました。その頃の歌(ああ上野駅)
その時、知り合った彼女の年令19才 出身は網地島の漁師の娘で 姉が石巻で理容師をしていて
遊びがてら手伝いに来ていました。
2005/4/12
その年の正月休みに彼女の実家のある網地島に遊びに行きました。
石巻から乗り合い船(28人乗り)で1時間半くらいだったと思います。
島の家々はどれも立派な作りで裕福さを感じさせます。この島はずーっと昔は政治犯の流刑地で
美形の女性が多数いました。(仙台美人と言いますが、これは仙台藩主や重臣が京都を始め近畿
や江戸から美人の女性を連れて来たことに由来します。それで一般の東北人とは顔立ちが違うのです。
元々の東北人は首が短く頬がでたおかめ顔ですが仙台美人は鼻筋が通って首が長く切れ長のめをして
山本富士子、若尾文子、十朱幸代、のような美人です。)
(彼女は歌手の 藤あや子 似の美人です。)
また家庭が裕福なため若い娘も家の手伝いくらいで外で働かず
学校を出ると裁縫や生け花お茶などの習い事をし花嫁修業をするというのが大半でした。
彼女の家は部屋数が12〜3も有り離れの部屋もある大きな家でした。
家の周りには花盛りの山茶花と椿と槙の生け垣と石塀が張り回されて豪華な造りです。
僕は2間続きで立派な床の間と透かし彫りの欄間7寸角の長押の客間に泊めてもらいました。
食卓の料理も北海道では観られない色々豊富で、中でも刺身の盛り合わせが観たことも
無いくらい豪勢で酒は特級酒(昔は1級、2級、特級に分けていた)僕も若さの至りで
1升ぐらい飲みましたが初めてのことで緊張していたので乱れることもなく泰然自若と応対して
さすがは北海道の人 と感心されました。
2005/4/13
彼女の家の家族構成は父親、兄夫婦、甥、姪の6人 他の兄弟はそれぞれに独立していた。
職業は大膨網(定置網)の船頭で 食卓の魚が豊富なのもうなずけます。
マグロ、鯛、鮑、サザエ、ふくらぎ、甲烏賊、等々内陸育ちの私にはびっくりの連続です。
サザエの壺焼きは生まれて初めて戴きました。殻付き牡蠣をレモン汁で食するのも初めて。
魚釣りが趣味になったのもその時の経験が影響していると思います。
黒潮と親潮がぶつかる好漁場です。 今度は魚釣りに行ってみたい。
2泊3日の島の旅の思い出 金華山沖から上がる日の出がすばらしい。
2005/4/14
その頃の私の仕事は重機を使う建設業で 女川から雄勝までの海岸沿いの道路建設でした。
事務所が石巻に有って休日に帰って来るのです。 その日が待ち遠しくて電話で連絡して
石巻で今で言うデートをしたものです。 勿論彼女は乗り合い船で島から出て来るのです。
二人で行った場所は松島、矢本、塩釜、仙台、涌谷、女川、鮎川等等それぞれに思い出が
有り、懐かしく、もの悲しく40年前の歳月がフラッシュバックします。
松島には有名な瑞巌寺があり、寺のはずれに洞窟が有ってその中で一日中ギターを弾くひとが
’第三の男’を弾いて居ました。 (その頃私も少しギターが弾けました)
寺の正面の両側に右近の橘、左近の桜があることを初めて知りました。 これはひな祭りの
雛飾りにも有ります。 海に浮かぶ大小無数の島々の景色も、これが現実の世界かと見まがう
ばかりでした。海に突き出た五大堂に佇んで時間の過ぎるのを忘れて夕日が落ちるまで見とれていました。
2005/4/15
彼女のプロフィール 顔立ちは藤あや子に似ていると書きましたが、髪はポニーテールにして
首筋が細く長く襟足の綺麗な人でした。 身長は162〜3Cmで胸は大きく腰はくびれて
ナイスバデイで性格は明るく積極的な人です。 私と知り合ったのは床屋さんで彼女のほうから
声をかけてきました。 そして私の故郷のことや身の回りのことやその他他愛のないことなど
話している時に彼女のお姉さんが「そんなに話しが合うのなら二人で何処かに行ってらっしゃい」
と言われ、喜び勇んでふたりで出かけたのが始まりです。
私が生涯出逢った女性のなかでは 最高の美人でした。
2005/4/16
1964年頃 私の身長172Cmは高い方でしたが、彼女の162Cmも平均よりもずーと
高かったようです。 ある時彼女の言った言葉 「地元には私に釣り合う男は居ないから」
其処はその頃、まだまだ地方の方言が強く残っていて、私のように標準語で優しく話す男性は
居なかったことです。よそ者の私はその頃流行っていた映画の流れ者シリーズの 小林旭 か
石原裕次郎 のように感じられたのかも知れません。
ふたりで並んで歩くと振り返って視る人も居て、お姉さんにも「お似合いよ」と言われました。
ところが、良いことばかりが有った訳では無かったのです。 ある時ふたりで歩いていると
地元の若い人に絡まれたのです。やはりめだち過ぎたと思います「よそ者が大きな顔をするな」
私も彼女の前で格好づけてるので喧嘩に成ると覚悟したものです。その時彼女が私の前に出て
「あんたら私等に何をするんよ、お兄ちゃんに言いつけるよ」と言ったのです。
それは彼女の2才年上の兄の同級生で、ずっと以前から彼女に言い寄っていた男でした。
彼女の兄は船乗りで中学生の時から番長と言われ、喧嘩も強かったそうです。
そんな訳でその男は引き下がって行きました。
どうも昔から、私は他人に妬まれる素質を持ち合わせているようです。
2005/4/18
1964年と言えば今の時代と比べると身長は平均で7〜8Cm低かったと思います。
私のファッション、ちゃ色の大柄なチェックの上着に濃いグレイのパンツ Yシャツに
格子柄のネクタイ 黒と灰色ツートーンの革靴 濃い芥子色のトレンチコートでした。
今思うとかなり目立つスタイルですね。
彼女のファッション、白のタートルセーターに黒の細身のパンツ 柿色のハーフコート
シルクのマフラー 黒革のパンプスでした。
その頃の東北では、冬の間女性はスカートを穿かずズボンで過ごすのが一般的でした。
2005/4/19
4月 桜の季節です。 それから私の知らない名の花々が咲き始めます。
そして、そして、そして別れの季節です。 仕事が終わって北海道に帰る時が来ました。
今年の秋10月の再会の約束を堅く誓ったのでした。
仙石線で仙台まで出て東北線に乗り換え、青森で青函連絡船に乗り函館に向かうのです。
今、思うと氷川きよしの「初恋列車」そのものです。
~~終着駅の青森で北ゆく船に乗り換えりゃしぶき隠れの海峡に灯り見えます函館の〜〜〜
仙台の駅まで彼女が送って来てくれました。 プラットホームの悲しくも切ない別れです。
演歌、艶歌、怨歌の世界
2005/4/20
40年以上も昔の出来事ですが断片的にでも鮮烈に蘇ってきます。
今と違ってその頃は他人の前で若い男女が手をつなぐとか、ましてや抱擁とか絶対に
あり得ないことです。 それは映画か小説の中の出来事と思われていた時代です。
大きな眼に涙をためて私の懐にひしと縋った彼女を抱き留めた感触が今でも鮮やかに
よみがえってきます。
そして、なぜか、それが、この恋いの終わりのような予感がしていたのも事実です。
2005/4/22
列車のなかで書いた 心の詩
故郷へ帰ろう 思い出抱いて 故郷へ帰ろう 母待つ家へ
麗しき恋人よ別離ても 心はひとつ離れまい
半年の別れのその後に 再度の逢瀬が待っている
心の痛みに耐えかねて 酒に縋って飲む夜も
君の笑顔の面影を 胸に描いて明日を待つ
