| マラソン及びロードレース出場 |
戻る |
| どう機 | 登山の魅力に摂りつかれ始めた30歳頃、アップダウンなど激しい行動に 体力の無さを感じ、足腰を鍛えようと走り出しました。その当時、ジョギング などという言葉もなく、もちろんジョギング・シューズなんて物もなかったの で、底の薄い運動靴を履いてペタペタ街の中をゆっくり走っていました。 |
やがて高度経済成長の進展により、日本人の 生活も豊かになり、健康志向の声と共に「ジョギ ング・ブーム」が起こり、各地でロードレースや マラソン大会が開催されるようになりました。 |
| やまい (熱中症) |
当時、かなり熱も上がり、自分の「持ち記録を一分でも一秒でも縮めよう」と 一生懸命練習し、特に熱中したのは、1984(S59)〜1986(S61)年で、 月間 502kmも走り込んだ事もありました。 |
そうした折、職場で良き先輩(マラソンの先生)に 出会い、大会への参加を誘われたのが病みつき になり、山登りの傍ら今日まで続いています。 |
| 成 果 | ★北は岩手県から南は静岡県まで、93回の大会参加中、ベスト記録は、 ・フルマラソン 3時間20分06秒(勝田マラソン・42.195km) ―1986/02/11 ・30km 2時間13分45秒(寺泊シーサイドマラソン) ― 1986/10/19 ・20km 1時間21分05秒(坂戸毎日マラソン) ― 1986/11/16 ・10km 38分06秒(榛名コスモスマラソン) ― 1986/09/28 ・ 5km 18分36秒(羽生市民マラソン) ― 1987/03/08 ・ 記録的には、ありふれた市民ランナーです。 ・でも、歳を経るとともに 【オリンピックに出るわけでもない、大会を 楽しもう】と考えるように なると、大変 楽な気分になりました。 そして、今までのトレーニングが、昨今の山登りを ぐ〜んと楽にして いることは疑いの 余地がありません。決して『徒労ではなかった』と 考えます。 |
![]() 当時のランニング日誌 武田の里マラソン大会 |
| おもい出 (記念) |
・優勝とか入賞など考えも及ばなかったなかで【唯一の入賞】は、今でも 忘れられません。それは、 地区体育祭3000m競争で 2位になり、 賞品のバケツを貰ったことです。 ・加齢するにつれ、「継続は力なり」とは良く言ったもので、参加賞ばかり だったなかで、【20年連続出場賞】 (時計つき盾)を戴いたのです。 坂戸毎日マラソンを連続(第1回〜第20回)出場した賜物でした。 よくもまあ 病気もせず20年間も頑張ったと自画自賛しています。 ・あちこちの大会に参加していると、いろいろな事があるものです。 なかでも、青梅マラソン大会・30kmの部で「ゼッケン番号:2134番」と 「着順:2134位」が同じ数字であったことは、参加者12000人もいる中、 偶然いや奇跡に近い出来事でした。---貴重な宝ものです--- |
★私の宝もの ![]() ・坂戸毎日マラソン 20年連続出場記念賞 ・第17回青梅マラソン完走証 |
| *’07年12月 9日(日) 今年も参加しました「第15回小川和紙マラソン大会」 ・例年に比べて大会当日は暖かく、4200余名のランナーが、各部に分かれて 健脚を競い合いました。 私も 5kmの部にエントリー、近所の走友とワイワイ談笑しながら ゆっくり走り、心より エンジョイしました。ゴール後 今年も美味しい豚汁をご馳走になり、体の芯から暖まり ホッとしました。帰宅後、走友と「打上げの宴(すき焼き・しゃぶしゃぶと飲み放題)を催し、 強かに酔いしれました。 |
![]() |
| *’08年 3月 2日(日) 第2回 深谷シティ ハーフマラソン大会 に参加しました。 ・仙元山公園 をスタート、深谷市街を周回し 陸上競技場にゴールする6種目・28部門で開催され、2900余名のランナーが梅花香る青空のもと 深谷宿を駆けめぐりました。 私も、I さんAさんと5kmの部に参加し、年甲斐もなく頑張り きつかったですが、昨年より記録を2分ほど短縮し、無事完走しました。 いただいた「煮ぼうとう」が、事のほか美味しく、きれいに残さず平らげました。 ゴール後、走友8人で風呂で汗を流し、居酒屋にて打ち上げ会、更にカラオケに繰り出し気勢を上げ、したたか酔いしれました。 |