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1 所送寒暑 [しょそうかんしょ] (御文章 P.1109)
寒暑(冬と夏のことで一年の意)
所送寒暑とは、「一年を送るところ」となります。
出典: 浄土真宗聖典プロジェクト『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
2 多屋の内方 「たやのないほう」
吉崎の当山において多屋の坊主達の内方とならんひとは、
まことに先世の宿縁あさからぬゆゑとおもひはんべるべきなり。
【注釈版聖典 ご文章一帖十通 多屋の内方の章 1098頁】
蓮如さまが吉崎御坊を建立されて二年余り、この「ご文章」が書かれた頃には、御坊(本坊)の周りには多くの宿坊(多屋)が建てられていました。それは越前や加賀の有力寺院各地から参詣する門徒の宿泊所を造ったもので、地方寺院の坊主たちの妻(内方)や寺族が宿泊者の世話をしていました。
この「ご文章」はその宿坊(多屋)の坊主たちの妻(内方)に宛てたもので、女人成仏の教義を懇ろに述べられています。
地方寺院の住職も宿坊の主人も、坊の主、すなわち坊主と呼ばれ、大きな寺院の住職は大坊主と呼ばれていました。坊主は本来、僧侶の尊称であり、その妻を内方と呼んでいました。坊主は後の蔑称となりました。
◇妻たちの呼称
広辞苑を見ますと、「内方」(1)他人の妻の尊敬語、(2)内儀、内室、うちかた。
「裏方」(1)貴人の妻、特に本願寺法主の妻、(2)他人の妻の敬称「内儀」(1)転じて他人の妻、特に町人の妻の尊敬語、お内儀(内議・内義)。「内室」(1)貴人の妻の尊敬語、おくがた、(2)転じて、ひろく他人の妻の尊敬語、(3)令室、令夫人。「家内」
(1)他人に向かって自分の妻をいう。「坊守」(1)寺坊の番人、(2)小さい寺の身分の低い僧、(3)浄土真宗で僧の妻。だいこく、ないほう。とあります。
浄土真宗以外では、僧侶は出家(独身)が建前ですから、その妻は公然と名乗ることができず、内妻(内縁の妻)、大黒(僧侶の俗称)、梵妻などと呼ばれ、肩身の狭い思いをしています。
浄土真宗は、在家仏教を公称し、宗祖自身が肉食妻帯して破戒僧を自称されていますから、住職の妻を「坊守」と呼び、寺院の主婦として堂々と活動しています。
寺院坊舎の玄関で「住職の妻です。」と胸を張ることができる女性は、真宗寺院だけではないかと、男女平等、女人成仏の宗風を自讃したいと思います。
◇五障三従は女性蔑視か
五つの障(女性は梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身になれない)、三つの忍従(幼時は親に、嫁しては夫に、老いては子に従う)は女性の地位の低いことを示す差別語です。 蓮如さまは女性蔑視を肯定する意図ではなく、「五障三従というが本当は男女平等に救われるのだよ」とおっしゃっています。
【参考文献 蓮如さまの法語掲示板 杉本 顯俊師 探求社刊】
3 吉崎御坊(よしざきごぼう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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吉崎御坊(よしざきごぼう)は、越前国吉崎(現在の福井県あわら市吉崎)にあった坊舎。現在は、「史跡
吉崎御坊跡」の石碑が立つ。
御坊跡に向う階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院が、東側に真宗大谷派の別院が置かれる。ともに「吉崎別院」と称するため、本願寺派の別院を「西御坊」・「(吉崎)西別院」、大谷派の別院を「東御坊」・「(吉崎)東別院」と通称される。また、「吉崎寺」(本願寺派)・「願慶寺」(大谷派)などの寺院、本願寺維持財団が運営する「吉崎御坊
蓮如上人記念館」がある。
4 御文章(ごぶんしょう)とは?
『御文(おふみ)』ともいい、真宗八代目の蓮如上人(れんにょしょうにん)が、親鸞聖人(しんらんしょうにん)のみ教えを、どんな人にでも分かるようにと、易しく書きあらわされたお手紙である。
現在、『御文章』として広く知られるものは、五帖(じょう)八十通(つう)から成る。そのうち、初めの四帖は年代順に、五帖目には年月のないものが収められている。一帖目一通は文明3年(1471)、上人57歳の御作であり、四帖目の最後は、明応7年(1498)、上人ご入滅の4カ月前のお手紙である。
浄土真宗が今日のように、全国各地へ伝えられたのは『御文章』によるところが大きい。
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