1993 関西ツーリング2

フル積載の相方を見て、呆れている母。出発
今迄のツーリングはそこそこの交通が発達した所を経由して目的地まで到違していたので、おおきな日程のずれもなくそこそこ上手いこと消化していた。しかし今回は違う。高速は奈良まで、そこから先は3ケタ国道あり、舗装されたぱかりの林道ありのルートを走り繋いで最終目的地そして本州最南端の『潮岬』に辿り着く予定になっている。『木ノ国』紀伊半島だけあって山々山の中をクネクネと走らなけれぱならない楽しいルートだ、スコールあり、崖崩れありなどのライダーを懲らしめる天然のアトラクションもある。
ツーリングの経験はある程度積んでいるとはいえ、今回ぱかりは単章も『Z1』になり、ある意味何が起こるか楽しみである。
奈良県曽爾村赤目高原のCA。自宅〜曽爾村
〇四月二十九日
ソニムラと読む。
AM4時20分、星の見えない夜空を見上げて溜め息をついた頃、新しくて古い相方の『Z1』のシリンダーヘッドが熱くなり暖機が終了したことを知らせていた、荷物のチェック、オイル漏れ、ガスの残量を確認して、ギヤをシフトし、ゆっくりとクラッチを繋いだ。恒例の3番地廻りをすませ十分後『Z1』は湾岸高遼を走っていた。早朝とあって交通量も極端に少なく白分なりのぺースが走ることが出来た、しかし出発前日に行き着けのバイク屋の人に「カムチェーン伸ぴ切ってるね、早急に交換しないと切れちゃうよ」
といわれたぱかり、しかし部品の入手にはあまりにも時問がなさ過ぎた、ということで高速もZEP400時代よりもスローぺースで走らなけれぱならない。そんな走り方だからDOHCの903tの発売当時世界最速のエンジンは相当苛立っていたに違いない。
去年は此処で降りた用賀ICを通過しいよいよ未踏の高速道路『東名高速』に入った訳だ。しかし東京料金所を過ぎてから雨が降り始め、自分はおろしたばかりのまっかっかのレインウェアを皮ジャンの上から着ていざ出発。足柄SAにて給油、朝食。静岡県の牧之原SAにて給油、自宅に電謡。その時点では雨も上がりうす明かりが照ってきたのだが、今は最も天気が変わりやすい季節でもあるので着たままで先を急ぐことにした。

退屈極まりない高速を予定通り岡崎ICで降り、いきなりの渋滞、R152を行く。あまりにも流れが悪いのでここらでいっちょ擦り抜けでもしたろうかいと思ったがさにあらず、格好はレインウェアで着膨れしているし、手はグローブカバーでウインカーSWを押すのもままならない、足はブーツカバーで踏ん張りが効かないしで仕方無くトラックの間に挟まって大人しくしていた。R23に入ってからも大型車の数は減るどころか一層増え、雨足も強くなってきた、用のない町で渋滞に会うと自分はどうしてもその町に対してマイナスイメージを抱いてしまう、「バイパスも真面に造れないなんて何て遅れているのだろう、金がないのか、それとも建設省からソッポむかれているのか?」と只でさえ名古屋弁、あの緒婚式の醜態で嫌悪感を持っている名古屋が更に嫌いになった。

やっと市街地を抜け、桑名ICから東名阪自動車道に乗る。雨は再び上がり薄曇りなった、今日は一日こんな感じなのだろう、ドライになった走行車線を少しぺースアップして走る。後ろの荷物は今迄の教訓を生かして出来上がったロープワークスタイル(といっても極々オーソドックスなバッキングではあるが)に落ち着き全くバランスを崩していない。荷物が気にならないというのはライダーに対する負担を大幅に軽減してくれるものなのだ、だからきっちりやっておかないと事故の原因に直接的に係わってくることもある。名古屋市内で取りそびれた昼食を御在所SAで取る、食堂の中に入ると沢山の家族連れの中に何人かのライダーも見えた、しかし自分のような重装備でやって来た者は居ず皆小綺麗なジャッケットとジーンズ、或いはカラフルなツナギ、果ては蛍光灯が歩いているようなオフローダー。それに対して自分はボサボサの頭、ええ感じに生えてきた不精髭、そこから下は黒一色のバンダナと皮ジャン皮パンツ、そして大分風格が出てきたNB-101。当然好奇の視線を受ける羽目になる、しかしそれに対してはすっかり慣れっこなので気にはならない、寧ろ他のライグーよりも旅人らしい風体だと思っている、だから平気なのだ(一日目にしてこんな事を考えている。最終目はどうなることやら)、しかし人の出入りが激しくとても一服していられる雰囲気では旭さそうなので早々とカレーを平らげSAを出る。

八耐の時期になるとバイクの長蛇の列が見られる鈴鹿ICをパスし、亀山ICで日本で唯一の無料自動車専用道路『名阪国道』に入る、渋滞もなくだらだらと流れに任せて西進する。そして降りる『針IC』まで後数`の所だろうか、5年近く単車というものに乗っているが居眠り運転しそうになったのはこれが初めてである、それまでに何回か瞼が重くなり前方のピントが合いにくくなってきてるなとはうすうす感じてはいた。しかしその直後に大波がきてスーツと引き込まれるように意識が薄れ、目が寄り目になった直後。我に返り反射的に逆ハンを切った、その時は既に『Z1』は側線を越え路側帯に入りかかっていたのだ!!!!!
真面目に死ぬと思った。滝の様な冷汗が吹き出た、一瞬体じゅうがコンクリで出来たようにコチンコチンになった。御陰で今迄溜まっていた眠気が一気に吹き飛んだ、そして計ったかの様に『針IC』の標識が視界に入ってきた。名阪国道は距離はそれ程でもないが信号やPAがないのでどうしても先へ先へと走ってしまうそれが眠気を誘ってしまったのかもしれない、これから先何年か後に5ヵ年計画であの北海道を巡る事を考えると止まれるところでは素直に止まって休憩した方が良い、これはもう基本中の基本なのだが、卓ならともかくまさか自分が単車に乗って居眠り運転しかけるとは思わなかっただけに今回はちとショックでもあった。
『針IC』を降りてすぐの所にコンビニを見つけたので、すぐさま食料の買いだしに取り掛かった。今回は御飯はハンゴウで炊いてつくると決めていたのでレトルトの御飯と言う地方の小さなコンビニではなかなかお目に掛かれない物は探さなくてもよいので、あっというまに買い出しはすぐに完了した(これは大きい)。そしてR369を南下、ほどなく今日最初のキャンプ予定地『奈良県青少年野外活動センター』に到着、しかしそこにとって自分が招かれざる客だということは入口に立てられている看板をみて察することが出来た。
『此処は学校の修学旅行や三十名以上の団体、且つ前日に予約の有るもの以外は使用できません』とデカデカの書いてあったのである!「どうやら初日には何かが起こるというジンクスは本物みたいやな」こころの中でそう思った。
とりあえずもしかしたら受付まで行って直淡判してみよう、そうすれば薄情な関東人とちがって関西の人はおせっかいやきが多いからビバークさせてくれるかもしれない、という灰かな期寺を持って、管理棟に向かった。そこへ通り掛かった若いオネエチャンにその旨を言ったら申し訳なさそうに断られてしまった、そこで素早く切り換えて「近くにキャンプ場はないのか?」と聞いてみた、しかしそれも知らないとのこと。諦めて単車に戻り、ツーリングマップを広げ近くにキャンプ場がないかどうか探してみたところ、隣村の曾爾村にあることを発見、しかし此処から三十`以上離れている、迷ってる暇はない。来た道を少しぺースアップして引き返しR369を更に南下する、榛原町のGSにて給油した、辺りも天気の悪さも手伝って大分薄暗くなってきた。GSのオバハンに道をきいてこれから走る道で間遺いのないことを確認して先を急いだ、車の少ない山道を『Z1』は着干の不安を泡えながら走る。

だいぶ走ってからやっと『曾爾村』に入った、村の中心部あたりに差し掛かった頃、最も確実な情報が得られる施設を見つけた、村役場である。そこで聞いてみたところ「これで電話してみてください」と、キャンプ場案内のパンフレットを渡された。早速分かりやすい所にある『高原ロッジキャンプ村』に問い合わせてみた。答えは0K、そして単車を走らせること20分、地方になると一つの目的地に行くのに数`を走らなけれぱならないのが時には楽しく、時には非常に麓陶しい)かなりの標高を稼いだところにそのキャンプ場はあった。そこには、池こそ無いものの視界の開けたキャンプサイトには二組の小さなテントしかなく、今迄に利用してきたキャンプ場のタイプから言えぱ正に『池の平池キャンプ場』を思い起こさせられた。つまり地元の人しか知らない穴場とでも言いたくなるような雰囲気を漂わせているのである。
しかし到着した時刻は決して早くないので周りを散策するのをやめて設営に取り掛かった、久々のテント設営だが簡単な吊り下げタイプを選んで購入したので手問取ると言うことはなかった。荷物を全てバイクから下ろし室内へ放り込む。そして楽しい楽しい今年初めてのディナータイム。しかし、自分が食事をはじめてから何処からともなく自転章の大集団がやってきて(二十人位)テントを張り始めた、またこいつらのうるせえ事うるせえ事、食器を洗う時に自転章に書いてある名前を見たら『電通中』とあった、ここから察するに中学生の集団かと思うが違中の面樽えを見るとどうみても大学生にしか見えないのだ。とにかく訳が分からんが煩くてしょうがない、どこにいってもキャンプ生活をする上でのマナーに欠けているやつが多すぎる、それでまた質の悪い事に自分が間違っていることに気付いていないから注意すればムッとするしでいいとこ無しである。御陰でまたまた寝不足だ。
本筋から少し離れてしまったがそういうことだ、さて、肝心の御飯だが本番にコケルという悪い癖を持っている自分にしては上手く行き過ぎた、と言える位の素晴らしい御飯が出来た。まあ片手に腕時計を握り締め、ハンゴウの乗っかったストーブから片時も離れずに睨めっこしていて失敗したら泣くに泣けなかっただろう。お焦げも電気炊飯器で炊いたように殆ど無く寧ろ気味が悪いくらいだった、味のほうはカラメシでも充分いける位にほんのりと甘味がでていて涙物だった。加えておかずの豪華さも手伝って(マーボの素・牛の大和煮)最高のディナーとなった。腹一杯でシュラフに潜り込み・ええ感じで寝入った頃・夜中の2時3時位だっただろうか何処からともなく犬が走ってきてテントの直ぐ側でやたらマジに吠えまくっているのである。
その吠え方たるやまるで猟犬が熊のような動物を相手にしている時のようで、自分は大の犬好きなのでまず表に出て、余り物のパンでもくれてやれぱ大人しくなるだろうと思ったが、もしかしたら熊の様な奴かそれとも獣は霊感が強いというから幽霊かもしれないと考えるようになり、恐ろしくなって出るのをやめにしてひたすら犬がどこかへ行ってくれることを願うだけの羽目になってしまった。